« 焼け石に水 | もどる | 逃げ場 »

2008年02月13日 気狂いを淘汰せよ!

編集者・校閲者は作品の最初の読者である。作家には最も辛辣(しんらつ)な批判者でもある。昔は鬼と呼ばれる編集者・校閲者がいた。国文学者も及ばぬ見識を備え、どんな大家の原稿にも遠慮なく朱筆を入れた。同時に差別表現だのなんだの愚論をゴネてくる連中には作家とともに反撃した。今そんな人の話を聞かない。差別表現は厳重チェック。だが誤記誤用は素通し。いや、それが誤記誤用であることさえ知らない。


上に掲げたるものは、先日の産經新聞に掲載されてあったコラムの一節であって、書き手は封建主義者の呉智英氏です。(参照リンク:【断 呉智英】編集者・校閲者の見識は?
ここで取り上げられているのは、主として文学に携わっておる編集者・校閲者の見識に関する事柄であるのだけれども、少し視野を拡大してみれば、昨今のおよそ「編集者」らしき輩、すなわち文学だけに限らず新聞、雑誌、テレビ等の編集に携わるモノの様態はあまり芳しくないように見受けられるのです。そう云えば例の「羊水腐る」発言でもスタッフの問題が取り沙汰されておった。―だが、あんなのはどーでもいー。くだらなさすぎる事件である故に、問題にされてしまう方が逆に問題なくらいでして、極論ですが、発言云々よりも、あのような女を使ったトコロに間違いがあった。下品、粗野、横暴、不見識…最初はアノ女にかかっていたコレらの単語が、遂にスタッフにまで伝播してしまっただけよ。
引用した呉氏の文章の最後の部分。「同時に差別表現だのなんだの愚論をゴネてくる連中には作家とともに反撃した。今そんな人の話を聞かない。差別表現は厳重チェック。だが誤記誤用は素通し。」 
誠に、さもありなん。
テレビ番組を例にとれば分かり易し。ソコに携わるモノは近年差別発言に甚だしく神経質になっておるようで、またここ数年のうちに規制も随分と積み重ねられている気配。裏に見え隠れするは、気狂いのPTAや低知能の集まりに過ぎない市民団体所属の劣等生物。テレビ局には毎度毎度彼らからの抗議が存すようであるから、結局作り手は一部の圧力に屈服しておるというコトになろう。
NHK、テレビ朝日、TBSの“ほぼ極左報道局”共は懲りずに洗脳ニュース番組を垂れ流しにする一方でありますのに、バラエティ番組だけは年々追いつめられていっておらぬか。フツウのバラエティ番組を視聴した後に、些細な事柄で苦情の電話をかけるようなのは、アタア・精神に病を抱えてある哀れな気狂いでありますのに、何故に斯かるモノに配慮致すのか。何故にそうした一部の廃棄物が淘汰されぬのか。媚び、諂い…まさかねぇ。全く原因の発生源が確認し難いが、おそらく、かなり確実に、編集者の思想、態度といったモノが愚劣なマイノリティーに呑み込まれてしまっています。
人権だの差別だの偏見だのと過剰にほざき立てる投棄物、ソレに対する有効な処分方法を一刻も早く見つけ出さねば、いずれ日本は腐敗物の惨禍で圧殺される。

« 焼け石に水 | もどる | 逃げ場 »