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2007年11月29日 変わらないというコトへの期待

ほんの数刻前に日付が変わりたるをもって、少しばかり昔のコトを想起せし夜であるから、ちょっとだけ思い出していた記憶を書き留めてイイ?


高校一年生の時に同じクラスになりたるIクンは、非常にマジメな生徒であった。マジメを絵に描いたとは真に彼の如き人物を評して云うのであります。容姿も冷静沈着な風を保ちたる具合で、語彙こそ大したコトは無かったのですが、会話はスゴク改まった調子で明晰にハナシを展開する。文字も端麗で、成績も宜しかった。おそらくクラスで一番良かったのではあらぬか。当時、勉強を「クソみたいなモン」だと“定義”し、己の空想にのみのめり込んでおった私などと比しても、テストでは常に一回り上の得点を叩き出しておったように記憶致す。私は斯様なIクンとはそれほど親しい間柄に成り得ず、従って彼のプライヴェートなコトはモチロン、その実態についても外面的な観察をもって知れる以上の事実は如何程も持ち合わせておらなかった。ただし、「マジメ」であるという事実だけはどうしても覆せぬモノであると愈々確信していたのです。
私が中学時代から現在に至るまで親交を保持し続けておる―数少ない人物の1人―Tは、Iクンを小学校の時から心得ておるようであって、TによるとIクンはなかなかワケありのモノであるという。曰く、Iクンは長男で、彼の下には四〜五人の弟妹がおり、しかも母子家庭であるらしいのでしたが、彼の父親は或る日突然蒸発し、以後行方知らずで今に至りたる。そういう事情であるから、ハッキリ申し上げて<貧しい家庭>の中に身を置き、相当な苦労を背負い込んでいるというのであった。私が通っていた高校は、原則として「アルバイトは厳禁とす。ただし諸事情により認可を受けた者は是を行い得る」といったような校則でありまして、まさにIクンは家計を助ける為にバイトをしながら学校に通っており、今時非常に珍しいタイプの<苦学生>であるコトを私はTから聴取し得た故に知り、そうしてIクンに対して僅かばかり尊敬の念を抱くようになった。隠れてバイトをしておるような輩は幾人かおったけれども、斯様な連中の行動原理は、嗚呼、単純なる哉、ただのお小遣い欲しさという軽薄な動機に過ぎず、それとは対照的にIクンは家計を考慮して“やむを得ず”バイトをしているのでありますから、何やらソコには涙をそそる動きが潮流しておるではありませんか?


高校二年以後、私はIクンと異なるクラスになり、元々親しくはなかった故に、次第に彼のコトは意識から薄れ行き果てた。私が彼のコトで存じ上げておったのは、進学を希望しているコト、そしてこれまたやはり家計を考慮してであろう、志望は国公立大学であるコト、それのみであった。
山々も色付き始めた(二年の)秋、私たちは修学旅行を迎えたのであるが、Iクンは金銭的な問題等を理由に辞退したことをTから聞いた。その時は大した驚きも存せぬような有様でありましたが、しかし所詮は田舎の公立高校、行き先はくだらん「横浜・千葉・東京三泊四日の旅」である。都会のお嬢様私立校の如き「ヨーロッパに丸々一週間の旅」などとは比べモノにならん質素な団体行動でありまして、実に田舎臭い安上がりなモンだ。Iクンは修学旅行へ行かなかったと云うが、思えばその頃から彼の歯車は狂い始めておったのかもしれぬ。


三年になりたる頃、私はふとIクンを思い出した。Tにそれとなく「そういえば最近I見ないな」と聞いてみたのでしたが、Tも素っ気なく「確かに見てないな」と言っただけであった。
遅鈍な私も、三年の夏休みを迎えるにあたり漸く己の進路に対して漠然とした焦燥感を抱き始めたのは、ただ「進学希望」という曖昧な目標をぶら下げておるだけであって、具体的に進学して如何なる勉強をしたいか、といったコトが皆目検討の付かない状態であったからなのでした。それから私は徐々に、今度はマジメに、己の内面に入り込んでゆくようになり、またTも進学に向けて余裕のない日々を送るようになっていった。私の中からも、そしておそらくTの中からも、Iクンの存在は完全に亡失されつつあった。


Tは私より早く、推薦で某名門私立大学に入る僥倖に恵まれ、私と対照的に年末には余裕を回復しておった。そんなTからIクンのハナシがもたらされたのは、卒業を目前に控えた、おそらくセンター試験の前後ではなかっただろうか。私の中ではもはや完全に彼の存在が消去されてあったので、それはまさに寝耳に水の事態でございました。
Tによると、Iクンは、理由は分からぬがいつの間にか退学しており、しかもTの友人がIクンと接触したらしく、その時にIクンは女を妊娠させたと言って非常に狼狽していたという。そして、こうも言っていたと教えられた。「堕ろすにしても金が無いし…」
一瞬私は「あのマジメなIに限ってそんなコトあるか!」と心の中で反言したが、しかし同時に抗い難い時間の流れに想いを致したとき、どうしようもない諦念のようなモノに覆い包まれ、「確かにそういうコトもあるんかなぁ」と、むしろ己に言い聞かせるかの如き具合で念じたのでした。


その時まで私の中にいたIクンはあくまでも高一のIクンでしかあらずして、あの時点でのIクン―すなわち十八歳のIクン―のコトを私は何も存じ上げておらなかった。その一年半の間にIクンに何があったのかは、もはや知る余地もない(モチロン、彼の現状については微塵も知らぬ)。
彼が変わったのならば私だって(一年半の間に)変わっていっただろう。ヒトは時間に抗うことが出来ず、時間に押し流され姿を変えて行く生き物だとしても、それでも私はこう思いたいのである。変わるとしてもそれは表面だけであって、決して骨の髄まで変わるようなコトはない。そんなコトは絶対にあってはならない、と。

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