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2007年11月17日 永遠の写真

日常的な写真撮影の慣習などは持ち合わせておらぬが、しばしば「おっ、コレを画像に残しておきたい」と思わせるモノに出逢うコトはあるのです。斯様な時にデジカメでも所持しておれば、或いは愉快千万なのかもしれぬが、生憎そのような科学技術の集合体は依然として持ち合わせておりませんから、私などは決まって泣き寝入りする他にマトモな手段は無いのであった。
私の親父はロクでもないがカメラは敢えて言うなれば好きな模様で、若かりし頃はソレなりに写真で遊んだらしいのだが、最近ではほとんど何も撮らなくなった。そのくせ安物のデジカメを購入しては嬉々としておったのが、つい一昨年くらい前のコトであったでしょうか。今は如何なる場所に如何なる具合で保管(放置)されておるのか、あのデジカメよ。


そうだ、実家にはデジカメが“一応”あるではないか。そうすると、私は今コノ瞬間に次のような思惑を抱いたのでした。すなわち年末に実家へ帰省せし時に、私の生まれ育ちたる<平原>を撮影致そうではないか。田舎の中でも比較的上の部類に属するであろう田舎の光景を留めておこう。
モチロン、ココでいう<平原>とはやや過剰な表現であって、実際にモンゴルのような平原などがあるワケがないのであって、コレは要するに「殺風景」と同義語だと思って頂きたいのであります。私の地元にはビルなど絶対的にありはせぬ。まるでソコは<現代的外観>が許容されておらぬような空間である。ソレを撮って、このブログに晒そうとするのです。私の原点を。私の“害悪の”原点を。フフフフ…


本当は、東大寺や「正倉院展」に赴きたる時においても、何らかの風景を撮影すべきであったのかもしれぬが、斯様なコトはせずに過ごした。ま、仮に撮影致したとしても、私はデジカメもスキャナも持っていない以上、ソレをPCに取り込んで、このブログに掲載するコト能わずなので、畢竟ソレを見るのは自分だけに限られまして、それならばわざわざ撮影などする必要はございません。心のシャッターを下ろすだけで充分なのである。其れは何時でも見たいと欲する時に見るコトの出来る「永遠の写真」を撮るのですから。

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