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2007年11月13日 或る精神錯乱者について

記者の前で“本番”実演…秋田SEX教団、衝撃ルポ


気狂いが世に蔓延る昨今、またもや我々の眼前に大いなる狂人が登場し来った。
ZAKZAKがおそらく半ばふざけて掲載したでありましょう斯かる記事を、私は、織田裕二がホモであり異常性欲であるコトを秘匿しておるのを見抜く如く、此の記事に記されておる愚劣極まる生き物の正体を暴く!
記事を追って行こうではありませんか。


秋田県湯沢市に“教団”を名乗る奇妙な集団が出現した。「預言的使命」と称して、セックスをへんてこりんな教義に取り込み、インターネット上で“ほぼ本番”のわいせつ画像を流し続ける。…(中略)…新たなカルトとして話題になっているのは、「リトル・ペブル同宿会」。教義を支える“性”なる儀式について、教団の創設者「ジャン・マリー神父」こと杉浦洋氏(47)は「アダムとエバの楽園が人類に還ってきたことを象徴する行為」と説明する。


古今東西、セックスにて地上の楽園を築かんと欲し、ソレを厚く信奉する輩は、種々差異があれども、根底はアナーキストに決まっておる。そうしてアナーキストというのは例外無く精神に異常を来しておる愚民であるから、必ずと言って良いほど他の存在を利用致しまして、その力を間接的に用いらんと企む。曰く「神」、「キリスト」、「お釈迦」、「それは“サイババ”の勝手なんですよ」、「仏」、「唯一神又吉“イエス”」、斯かる状況にあってココで利用されておりますのが「アダムとエバ」でした(「アダムとイヴ」の方がより一般的であろう)。今日、どれほど「人情味」が喪失した時代と叫ばれようとも、人間は本来、思考回路がルーレットのようになっておるモノには関わりを持たぬのが常でありましょう。「道理に合わないもの、自己にとって有益たり得ないものについて人間は権利を持っていないのです。」―エドマンド・バーク
己の思考と感情と外見が猫ひろしを五分の一に圧縮したかのような醜態になってあるコトへの無自覚、それ故に精神錯乱者は他力を以て自己の正当性を主張せんとす。ソレは脳機能が常人と比するに半分程度しか活性化されておらぬような土井たか子や福島瑞穂をも凌ぐ、劣悪野蛮な獣に他ならぬでしょう。


いくつかの不可思議な思想の中で特に異様なのは、外出時に着用する「ナノテク繊維でできている」(男性信者)という白装束だ。


 杉浦氏は「我々が信仰するリトル・ペブル氏への愛の証です」と説明する。リトル・ペブル氏とはオーストラリアに本拠を持つ聖シャーベル修道会の教祖だが、その評判はすこぶる悪い。カルト問題に詳しい紀藤正樹弁護士は「ペブル氏は幼女への暴行罪で服役するなど、キリスト教系では性的問題が多い団体として有名」と説明する。


 大いなる疑念を抱きながら、問題の性儀について切り出した。すると杉浦氏は一瞬、苦悩の表情を浮かべ、「私は近い将来、婦女暴行罪で逮捕連行され、辱めを受けるでしょう」と預言。だが、次の瞬間、意を決したように「神が望むなら…やるんです」。力強くそう言うと、おもむろに服を脱ぎ始めた。


日本共産党員や創価学会をも凌ぐ正真正銘の異常人格者は、常に現実と虚構(=不敬にも神と己を一体視し、筑紫哲也を「真っ当なニュースキャスター」と述べるが如く高熱病に冒されでもしているかのようなバーチャルな自分認識)の世界を彷徨致します。或る瞬間においては現実世界の法令を知覚し(「婦女暴行罪で逮捕連行」)、そうかと思えばまた次の瞬間には「神が望むなら」などとほざき立て、我々には、いや如何なる天才をもってしても確認できぬはずの神の御姿・御意思を身勝手に創造し、悦に浸るのでした。斯様な害獣にとりて、神とは畢竟<自己を規定する“ひとつのモノ”>に過ぎず、これ以上の冒涜は考えられません。ヒトは精神の支柱が根幹から腐り果てると、その瞬間に“姿カタチだけの人間”へと変貌し、どいつもコイツも白装束を好み(以前にも「白装束の集団」が世間を賑わせたコトを思い出すが良い)、しかして中身は事実と妄想を混同させる「報道ステーション」の加藤千洋的毒キノコ生物へと顛落していくのであった。それを証明するのが「リトル・ペブル氏」なるおそらくは辻元清美と大して変わらぬであろう自己抑制を可能にするブレーキが遥か彼方へブッ飛んだ外人、害人への共鳴である。杉浦はマグマの如く吹き出る性欲とソレを満たすための野蛮劣等な行為に対して、自己の内部で何らかの<整合性>を構築する必要に迫られたのでありまして、そこにおいて着目致しましたのが他ならぬ「リトル・ペブル氏」であった。コレは現実と虚構を往来する特権的フリーパス券を所持しておるモノにしか達成できぬ“奇芸”を意味致しますから、つまり微かな現実認識と過大な偽りの世界という二つの調味料が、道場六三郎も喫驚するほどのバランスで混ぜ合わされた時にのみ生じ得る「奇跡の邂逅」なのでした。


ロウソク替わりのLEDライトが数本立てられた祭壇の前に布団を敷き、台所から瓶とヨーグルトを持ってきた。


 「挿入せずに性器に擦りつけて射精するのが、『正しいセックス』。ヨーグルトは滑りをよくするためで、瓶は精子の採取用です」


 やり方はすべて「神様からのインスピレーションでわかった」という。相手をしたのは「クララ・ヨゼファ・メネンデス」と名乗る、きれいな女性信者(35)。だが、目の前で繰り広げられた光景は性交がないだけで、“本番”そのものだった。


 あっけにとられていると、杉浦氏の口から驚くべき事実が飛び出した。「クララは妊娠しました。現在、7カ月目に入っています」。無受精での妊娠は間違いなく世界初だろう。


 こうした行為は杉浦氏にのみ許される。同じ屋根の下で、“営み”を見せつけられる信者の気持ちはどうなのか。一緒に住む男性信者2人は「全然気になりません。ごく日常的な光景で行為の最中も普段と変わらず過ごしています」と答えた。


ヨーグルトを性器に塗りたくりますコトで快楽を覚えるのか否かは実践してみたいが事後処理が面倒でイヤなのでやはり一向に解せぬコトですが、しかし斯かる行為を「正しいセックス」などと奇怪なほどストレートなコトバでもって主張する正直さには、毎日毎日バレバレのカツラを被りてテレビに堂々と出ておる「とくダネ!」の小倉サンもビックリでありましょう。ココでも当然の如く「神」を持ち出してきて着飾っておるが、何のコトはない、アソコはヨーグルトでグチャグチャなのであって、そうした矛盾を察知できぬ時点でなかなかどうして河野洋平並みのだらしの無い輩である。或いはコヤツ、小学校にすら通っていないのではないか。
ココに至りても杉浦洋と申す精神に甚大な障害を抱く狂人は懲りずに、むしろ飄々として「神様からのインスピレーション」などと喚き立てる。この無様な姿は、大した能力も行動力もないくせに口だけは達者な田中眞紀子を思わせるではありませんか。眞紀子同様に詭弁は振るいまくります。曰く「クララは妊娠しました。現在、7カ月目に入っています」 もはや呆れ果てて発するべき言葉を見失うのでしたけど、それは共に生活をする信者とて同じようなモノであって、「全然気になりません。ごく日常的な光景で(以下略)」というこの発言がまさに正常な感覚の麻痺を示唆する。
私は、杉浦洋なる史上稀に見る精神錯乱者について言及してしまったが故に、自らの精神も正常なバランス感覚を喪失しかけておるのかもしれぬ。いや、コレは危ない。ココらで失礼させて頂きやす。呉々も気狂いには用心を。

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