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2007年11月06日 「正倉院展」及び東大寺周辺雑記3

中門をそれとなく見過ごして、次に目指さんとするのは、或る意味において東大寺の親分であります大仏殿なのでした。
中門に至りて、其処から左折し、大して特徴のない中門の壁伝いに歩むことおよそ五十メートルばかりで大仏殿への入り口が見えてくる。巨大な大仏様が控えておる大仏殿とは不釣り合いな狭き入り口でありまして、ヒトが二人以上は並んで入れぬ仕組みになってある。此処において人々は何かにつけて誘導される如く其の中へと闖入して行くのでした。私もすかさず中へと入り込もうではないか。
門を通り越してみると回廊の如き廊下が右手に延びておって、天井もある。が、豈図らんや、入り口の前には小さな行列が三列ほど出来ておったので、はて、何事かと思う間もなく其処はチケット売り場である事を察知致す。行列の先には小窓が設置されておりまして、小窓の上には入場料が明記されてある白き札が取り付けられてあって、見るに「大人500円 小学生300円」とある。やれやれ、こういうトコロはキッチリと金を取るのね。大仏様も金を取ってまで見せ物にされて、さぞ可哀想に、などと脳内で独り言談を弄していましたら、私の番に達しましたから、クールに「大人一枚」と言い野口英世の顔が描かれたお札を一枚差し出す。向かっておる小窓は、本当に「小窓」でありまして、中でチケットの手配をしているモノの顔すら誠によく確認できぬ。或いは窓にスモークでも貼付けているのではないかしらん、と思うくらいに明瞭であらず。あまり覗き込むのも申し訳なかろうとデリカシーを働かせまして、やむを得ず視線を移す。辛うじて判明致しましたのは、中に座しておったモノは肩くらいまでパーマをあてたような黒髪を垂らした中年の女性で、眼鏡のようなモノを装着しておったというコト。それ以外に表情や化粧の乗り具合や皺の数などは分からず。相手からすれば分かって欲しくないであろう点を、私はまんまと確認出来ず残念であります。
そうしておるとすぐにチケットが不躾に出てきた。出てくるというよりは滑り出てくるとでも言った方が適切な具合に、乱暴に提出される。「ホラよ、さっさと取りな」と言わんばかりの横暴さ!おまけにお釣りの五百円も瞬く間に滑り出てくる。なんちゅう対応じゃ!と思うものの、大仏様の前では冷静に、と自らを鎮めたのでした。
しかして、チケットを手に回廊の如き廊下を五十メートルもブラブラと進みますと、オッサンが三人程立っておって、まるで昔の駅の改札口を思わせるかのような具合でチケットを切っていたのでした。チケットを差し出すと、切り取り線をビリリと手際よく破り、チケットを切る。何の面白みもありゃしない。
此処に至りて漸く大仏殿を拝める。チケットを切ったトコロから十メートルも歩めば、今度はそれなりに大きな門があって、此処なら横に四、五人が並んでおっても大丈夫そうです。門の前に立ち、見上げるに遥かそびえ立つは大仏殿・・・であるのだが、何だコレは。まるでミサワホームじゃありませんか。どうしようもないほど味気のない建物、無闇矢鱈に図体だけがデカく、外観は実に迫力に欠けておる。まず嘆息すべきなのは、必要以上に建物自体が照っておるので、どうしても“歴史”というものを感じさせない。「兄ちゃん、ありゃぁ築八年の建造物さ」と囁かれたら納得してしまいそうなほどに、<不必要な新鮮さ>を漂わせておりまして、幾年の歳月を経て其処に存在しておるような確証を見出せないのです。南大門には見られた時間の重みが此処では全くに欠落しておって、歴史的建造物に特有の“厳しさ”や“辛辣”さを何処かに落としているようであった。次に大仏殿へと続く道に施された細工が、より其の<不必要な新鮮さ>を助長させてあります。すなわちその道は明らかに現代的に加工されたタイル若しくは光沢を徹底して出したと言わんばかりの石のような素材で埋め尽くされておって、明らかに歴史的建造物というものに相応しくないのでした。そうして最後に、あまりに開放的な様態を示しておる。仏教の精神について私は塵ほどにしか心得ぬが、さりとて其処は宗教の施設である以上何らかの閉鎖性や明確なる存在目的意識のようなものがあって当然ではないでしょうかい。しかし、私の目に映りたる大仏殿に斯様なものはなく、まるで開け放たれたる宮殿の如し。かつて存しておったはずの精神は、もはや時間によって盗み去られてしまったのであろうか。


斯かる失望感に包まれながらもとりあえず接近す。二十メートル、三十メートルと歩めば、その影に覆われる位置にまで達す。成る程、こうやって見上げてみれば、極めて近い位置からだと、それなりに時間の経過を感じさせてはくれる。だが、やはり建物が(構造的には頑強だと見たが、其処から受け取るイメージは)妙に弱々しく覚え、芯が通っていないように感ずる。実に覚束ない。
此処でも相変わらず急な階段を上り、大仏殿の中に入らんと欲す。さすがに此の辺りには外国人観光客が相当いる。まま、宜しい。
失礼して入らせて頂く。


・・・残念ながら、私は此処に関して特に記すべき事実を持ち合わせるコトが出来なかったので先を急ぐコトにする。やはり第一印象が全てであった。
御免なさい。


大仏殿を後にし、いよいよ正倉院展に赴こうではないか。
と、その前に、ついでに“正倉院自体”を見ておこうと思い、大仏殿の裏の路地を私はトボトボと歩んだのだった。


うぬっ! またしてもスペースがあらぬ。やや冗長に過ぎるので、“正倉院自体”についても割愛させて頂きます。いや、割愛しても構わぬのでした。此の度、私が見たかったのは<正倉院の中身>であって<正倉院の外身>ではあらぬ。此の場にては、大仏殿への率直な感想を(舌足らずだが)記すコトが出来ただけでも良い。


次回(最後の回)へ続く。

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