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2007年11月04日 「正倉院展」及び東大寺周辺雑記2

眼前に遥かそびえ立つは、言わずと知れた南大門であった。「国宝」である。国宝であるからというワケではあらぬが、やはり過剰な雰囲気を醸し出してある。要は非常な差別意識を感ずるのであって、どう見ても周囲の光景に調和しておらぬ。面白い具合に自分勝手に、あまりに突出しすぎておるのでした。
当日は昼前から青空が広がって来るような晴天になったコトも幸いに、南大門の雄大な瓦屋根が日光を多分に吸収致しまして、光を得た個々の瓦たちは薄灰色から若干濁りを伴うような水色に自らを演出しておって、その下には時間の推移の焼き付いた異様に重量感のある柱また柱の郡が連なり、其れが門全体を支配しておるのではないかと錯覚するほど見事な“立ち居振る舞い”であったので、思わず私はその門を見上げたまま近づいて行ったのでありました。門の周辺及び中には世代・国籍・性別・身なりを問わぬ無数の人々が、或るモノはケータイのカメラ片手に、また或るモノは使い捨てカメラ或いはデジカメなどを持ち、その荘厳さを何とか記録に留め置かんとしてシャッターを切る。そして少し離れたトコロでは老夫婦と思わしき一組の男女が存し、南大門から十メートルばかり離れた距離にて、旦那と思しき男が妻と思しき女を、これまた門をバックに記念撮影に勤しみます。其処に於ける老女の妙な笑顔は…私はソレを作り笑顔に似たるモノと推察したのでしたが、今になりて思うにアレは作り笑顔というよりはむしろ相当自然な笑顔であったのかも知れぬ。しかしながらあの瞬間、不自然な笑顔に思えましたのは、南大門の雄大さ―我々を包み込む巨大な一つの影!に圧倒されたか―に老女の表情が適合しなかったが故の不幸事であったのではないかと回想致す。斯くまでに偉大な南大門、その前にておよそいかなる形容が相応しからん。此処からは当代一流の文学者センセイ方にお任せするより他に方途はあるまい。私の貧弱な語彙ではとても手に負えるシロモノではありませんでした。
斯様な光景を見ながら門に接近するに及んで、まず目に入り来ったものは「寺厳華大」(大華厳寺)と記された門の中段に掲げられる一つの額でありました。はて、このようなモノがあったかしらんと思いつつも、それはさておき、門の下に入り“例のモノ”を見ようと歩むに、そこに設けられておる四〜五段ほどの階段の段差が急なコトにまずもって驚く。バリアフリー完全無視の、入るモノを明らかに限定するかのようなその階段(一段一段の高いコト!)に、正体不明の厳しさを覚え、何か責め立てられたような身分を思う。(さて、その「寺厳華大」と記された額であるが、此れは昨年に設置されたものであるとのコト。う〜む、それにしては古めかしい雰囲気を噴出しておったゾ)
しかして二十二の年齢をフルに活かして階段を上り切るに、其処は深き門の傘により、若干薄暗くなりたるものの、見上げれば「大仏様」と呼ばれる建築方式独特の幾多の木材を水平方向に一定の間隔で整然と組み合わせた隙の無い構造となっておりまして、少しばかりの薄暗さが尚更その建築の緻密さを引き立ててある。姉歯建築士(もはや過去のヒト?)もビックリの精密さであろう。これほど精彩な方式の建築物をよくぞ開発したものぞと内心驚嘆す。そうして、今度は頂上の高さを見定めんと頭を上げて、グッと上方を睨みつけたものの、天井と思わしき部分は遥か彼方でして、メートル単位での高さを推測すること能わず。無念千万。


ようやく、此処で一つの山場を向かえる。すなわち“例のモノ”でございます。南大門といえば、此れを抜きには語れぬ―金剛力士立像である。「運慶」「快慶」「湛慶」などと日本史で触れた名前が無意識に出てくる。懐かしい。
其処には二つの巨大な木像が安置されておりまして、ココで「阿吽(あうん)」のハナシをするのがお決まりなのかどうかは分かりませぬが、日本史の授業でも教わったコトなので其の受け売りとして言うのだが、門に入りて右側に置かれてある像が「吽」の像、左が「阿」の像。「阿」の像が口を開けておりまして、「吽」の像が口を閉じておる。「阿吽の呼吸」のアレですな。私も表情を確かめんと二体の像を夫々凝視したのであるが、暗い上に視力が宜しくないもので、明確に確認出来ず。残念。
途方も無く巨大な像(8メートルを超える)を見るに、足から腰にかけての部分しかハッキリと確認することが適わず、実に歯痒いものです。が、全体像を明瞭に捉えるコトの不可能さにこそ、この二つの像が持つ<恐ろしさ>を垣間見るコトが可能ではないか。近くにいた体格の良い白人のオッサンなぞは像をしばし見上げた後に、「なんだコレは!?」という様子で呆気にとられたような笑みを含んでおったが、私もその笑みに同感するモノであります。いやはやスケールが違うのだ。門の段階でこの有様でございます。ましてや大仏殿などは・・・ おっと先走るのは止そう。まったく昔のヒトは或る意味で現代のモノよりもよっぽど過激だったのではないかしらん。
見えた範囲で申し上げますれば、異様に大きな足と何が何やら分からぬ腰回り。彼らの出で立ちは腰の付近に布のようなモノを纏っているのみの、見方によっては余りに質素なものだが、そりゃそうだろうと思わずにはおれない。こんな巨人に着せる改まったカタチの服なんてあるもんか。足にしろ途方も無く巨大なのだから、ただ大きいというだけで愉快である。もうそれ以上に必要とするものは無いのです。単純に巨大だという事実が、見る側のココロを満たす。其処には言い知れぬ“妖気”のようなものが漂っており、無駄な装飾品などはかえって不要なのである。妙な色付けもいらぬ。そう思えば、これほど単純でこれほど無駄のない芸術品もあらぬのではないか。
こんな像を一つくらい家の前に置いておけば・・・なんて邪道な思いつきが出てくるが、やはり実際において斯様な巨像が家の前にあれば、色々な面で迷惑でしょうね。


むぬぬ、全く前に進まぬ。これではいつ終わるともしれん。南大門は名残惜しいが先に進む必要がある。私は金剛力士像に別れを告げ、前進したのであった。右に全然美しさの欠片もあらぬ鏡池を見ながら、左にまばらな状態で展開する屋台の店を見ながら。
すると今度は中門が見えて来った。だが、此処に関して述べておくべきスペースは残念ながら存せぬ。泣く泣く大仏殿にハナシを進めるのでした。


次回に続く。
ホントは今回で終わらせるハズだったのだが…
このペースじゃ何時になれば終わるというのか。

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