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2007年11月03日 「正倉院展」及び東大寺周辺雑記1

天王寺駅から環状線内回りに乗車し、二駅を経て鶴橋駅に午前十時半頃に到着す。此処から近鉄線に移り、一路(近鉄)奈良駅を目指さん。
JR線から近鉄線乗り場へと移動し、待つことおよそ十分で奈良行きの急行列車は姿を現したのでした。だが、ソレはどうも薄汚れておるような、哀愁というモノを全く拒絶致しておる単なる小汚い列車であった。そうして、中はそれなりに混雑してあるようで、生憎立ち乗りでございます。
ニット帽を深く被り、ソロリと電車に入り込み、車内を見渡しますと若いカップルから老夫婦まで、または私と同年代の学生風の女、家を飛び出して来たまんまの粗雑な服装をした中年男性まで、なかなか多彩な身分のモノが乗車していたのでありました。私は近鉄列車なるモノを今日に至るまでおよそ2回ほどしか利用していないと記憶するが、果たせる哉、何時乗っても状態が芳しくない。要するに発車が良くないのです。扉が閉まると、“チンチン”とどこかしら懐かしさを感じさせる鈴の音のような音を鳴らした後、キュッ、とスピードを上げて動き出さんとするので、慣れない身は思わず前へと振られてしまう。しかして、どうやら慣れていないのは私だけのようで、何度も前にフラついておるようなモノは他に見かけず一人だけフラフラしておったので、多少の羞恥心を感ずる。
先を急ごう。当初、私の知り得る限りでは三十分も待てば奈良へ到着すると思い込んでいたのであったが、いやはや如何なる事態か。列車はどんどん山間部へと入り込んでゆくではないか。鶴橋駅から発車して十分、十五分…待てども待てども次の駅へ到着する気配がない。乗り込んだ列車は紛うコト無き奈良行きであるが、コレは如何なるコトであると申しますのでしょうか。気が短い私は当然の如くイライラし始める。外はいつの間にか長閑な畑や密集した墓地が見えるような山間部へと突入しておるのです。窓外に見える景色とは対照的に私のココロは穏やかでなくなり、「オイッ、早く着け」と理不尽な怒りを抱くも、悠長に走り続ける列車―オイオイ!どういうコトじゃ!遠過ぎる…と怒りが喉元まで来った時、漸くにして次の駅が目前に。一安心。予想外の怒りにより、到着前にして疲労感が漂い始めます。おまけに腰に違和感も。嗚呼、俺の旅もココまでか、と思わずにはおれないのであった。


何たる事態! 限られたスペースにも関わらず、まだ東大寺にすら到着しておらんではないか。コレでは駄目だ。腰痛も糞も忘れてしまおう。誰も旅行記などを書く気は無いのであり、やむを得ず電車内のコトは此の辺にして、場所を移さんではないか。


というコトで、(近鉄)奈良駅へと到着致したのです。さすがに県庁が眼前にありますコトもあって、若者やら学生やら老人やらサラリーマンやらでそれなりに賑わっておる。その駅前には看板が設立されてあり、それを見るに「東大寺1.5km」と記されておる。成る程、それだけ歩かねばならぬか。仕方あるまい。目的の「正倉院展」は東大寺ではあらず、その近隣に設立されたる「奈良国立博物館」にて開催されておるのであるが、まずは東大寺へと赴こうとするのであった。
東大寺へと向かう歩道を歩むに、カメラを大事そうに抱えた欧米系のオッサンやらアジア系のモノが多くを占めておる。言うでもなく旅行者である。そして其れに負けず劣らず学生の姿が見える。コチラも旅行者、修学旅行生であろう。私も中学の修学旅行で東大寺を訪れたモンだ。此の場に来るのはあの時以来か、と多少過去を振り返る。が、今は後ろを振り向く時ではあらぬ。いざ、東大寺へ。歩みは一直線!
歩道を数百メートルも進むと、奈良公園名物の鹿たちの御出迎えです。しかし、哀れなる哉、どの鹿たちもツノがバッサリと根こそぎ切断されておるではないか。おそらくは人々に危害を加えぬようにと、係のモノが定期的に切っておるのであろうが、いやはや、ツノを切られた鹿は実に迫力が無い。「とくダネ」の小倉さんに被り物があって当然のように、鹿にはツノがあって当然ではないか。にも関わらず、奈良公園周辺における鹿たちは例外無くツノが切られておるのである。しかも切られた跡がハッキリと視認できるため、尚更寂寥感に駆られる。鹿にとってツノは<一種のアイデンティティー>ではありませぬか。ソレを奪われた鹿に、私は何を見出せば良いのであろう。畢竟、ソレは鹿でもロバでも宜しい。其処におるのは鹿であり鹿で非ず。いきなり寂しさに襲われたのであった。子供や陽気な外国人たちは名物“鹿せんべい”を購入し、楽しそうに与えており、またカメラを抱えた人々の中には鹿をフィルムに収めんとしてカメラを構えておるのであったが、果たして象徴を喪失した鹿を美しく、自然に撮れるであろうか。斯様なコトを思いながら、歩むこと五分弱、愈々東大寺が視界に入り始めたのです。中学生らしきモノたちに加え、幼稚園児や体操服姿の集団も姿を見せる。おそらくアレは地元の学生が遠足で来たっておるのでありましょう。しかし、体操服でお寺巡りとは、恥ずかしいねぇ。などと要らぬ同情を持ちつつ目線を上げると、目前には古めかしきも壮大な木造の門―国宝南大門が雄大にそびえ立っておったのです。


明日に続く。

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