« いざ正倉院へ | もどる | 夢無き日々の嘆き »

2007年10月23日 締めが最悪

台湾から来っておる留学生のKサン(女性)が、秋になりたる故にか否かはいざ知りませぬが、前髪を上げて、常日頃とは若干趣を異にするメイク(アイシャドーのカラー、薄紫の様でもあり水色の様でもある色彩)を施してきたのをそれとなく察知したのまでは良かったが、よく見るとその具合が甚だ宜しかったモノですから、思わず一目惚れしそうになったのはそれほど前のコトであらぬ。初対面の折からそれとなく綺麗なヒトだと思ってはおりましたが、この度の転換に際して「オレ、その髪型と目元好き!」と思わず言いそうになった秋の一日である。


どうもいかぬ。いやはや、私は前髪を上げている女性を好みがちにあるってコト。何故であろう。その原因を探り当ててみようではないか。
おそらくは露出された額、そしてその下に連なる眉毛と瞳のラインに対して<無意識の裡に>何らかの関心を集めているのではないかと推測致す。つまり斯くなる具合である。髪の毛を頭の上部から後部にかけて撤去するコトで著しく見晴らしの良くなりました額に、私はある種の屈託の無さに似た類の開放的な気分を見出す、更に其の下に描かれるやや穏やかな角度で上昇しておる眉毛に潔癖的な自立心とでも言おうか、気丈な「自我」といったモノの影を感じとることが出来ますから、またその屈強な精神を宿すかのような眉毛に近接するカタチにて青や赤や紫といった比較的自己主張の強い色がアイシャドーやアイラインやマスカラに用いられることによりて、非常に澄み切った感慨が演出されておるように感ずるのである。すなわち額―眉毛―目元(の色彩)が一体俄然となりて、そのモノの存在をある種“攻撃的”にある種“能動的”に仕立て上げておるのでありまして、其処には言わば<自意識の不可逆性>ともいうべき状態を志向するかの如く己をストイックに高めんと欲してあるような実直で剛健な有り様が含まれている点と相俟って、私を惹き込んでいくのですけれど。
そうして此の問題は私の“受動的”嗜好―ハッキリ申すと「マゾヒスティック」であるコト―と深い関わり合いを持つように思えてならぬ。くだんの如く前髪を上げたスタイルの女性が包含す“能動的”な明瞭さというモノは、私の内面を支配する“受動的”或は“消極的”性質の隙間に間断無く訴え来たるモノにて、威圧さえするのであった。斯様な攻撃は「マゾヒスティック」に占領されております精神において非常な声援を持って歓迎されるべき有り難き存在であって、是を私は抵抗するコトなど無く、むしろ半ば喜びを伴って屈服するより他に選択すべき道はございません。
これだけの条件がソコには備わっているのだ。


以上が前髪を上げている女性に私が惹き込まれる所以である。
Kサン、アナタのそのスタイルは私にとって多分に堪えるのです。あまり“攻撃的”なのは止しておくれ。お願い、次会う時には以前の御姿に戻っていて欲しいのだ…あまり派手にやられると、好きになっちゃうよ。


こんなクサくて乱暴な締め方で宜しくて?(タイトル参照)

« いざ正倉院へ | もどる | 夢無き日々の嘆き »