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2007年10月04日 マナカナ運動会

前々回「運動会など廃止しちゃった方がイイんでないかい?」ってな、多少の嫌みと大いなるコンプレックスとを含蓄する無謀なる提案を披瀝してみたのでありましたコトは、比較的記憶に新しい事柄であろうかと推察致しますが、さぁ、やってきた運動会シーズン。先週・今週にかけて、叩き売りの如く開催されておる。近所の小学校だけに限らず、通学途中の小学校においても、またバイト先に隣接する小学校においても、あたかも義務であるかのように、強迫観念に迫られているのかと疑わざるを得ないほどに、至るトコロで運動会運動会なのでございます。よくもまぁ、飽きずに毎年毎年やっておる。「継続は力なり」転じて「反復は義務なり」としか思えないような、代わり映えのしない行事なのであります。続けているとは言わせません、同じコトを毎年、参加者の顔ぶれを入れ替えて、反復させられているだけに過ぎぬのである。其処の基底には目に見えぬ不可思議な「教典」のようなモノが沈潜しており、それは表向きに「プログラム」と称される形式をもって私たちに提供されているモノに他ならぬのですが、コレがやむを得ぬ反復活動の基点となるコトは最早言うに及ばず、そら、懐疑的、疑心暗鬼になって、昨年配布されたソレと今年配布されるソレを、家族団欒の場で、お茶の間で、夕食後の空き時間で、若しくは一人きりの居間または雪隠で、比較検討されてみるが宜しい。あら、明瞭なる哉、詐術的なる哉、一卵性双生児の様相を呈しているではないか! 昨年の運動会が“マナ”なら今年のモノは“カナ”であろうか。斯くしてここに運動会の“マナカナ”が誕生するのであった。
而して、だが、反復は反復に過ぎぬのかもしれませんが、それが「伝統」となり、末永く伝えられていくのでしたら、どうしてソレを一方的に切り捨てられるであろうか。私たちは或る物事に対して一卵性双生児であると理解しながらも同一なる行動を繰り返し、「反復は義務なり」→「継続は力なり」とその意義を半ば無理矢理にではあってもプラスに転換することで、何ものかを維持して来ったのではありませんか。


ココに至りて(投げやりの)理解と(アンニュイな)現実との乖離が生ずる。
「よーい」の後に朗らかに打ち鳴らされる“パンッ!”という乾いた音が、今になって胸中深くに仕舞い込んだはずのホロ苦き記憶を、イタズラで小悪魔的微笑を伴って、刺激する。戻りたくはない瞬間に引き落とされそうな思いに駆られる、とはやや過剰な表現でありましょうか。
久々に飲用せしコーヒーは、予期していたモノより苦みが強烈であった。コレが「大人の味」であると申すのなら、私はいっそ子供のままでいたいと願わずにはおれない。但し、運動会だけは‘容赦なく’勘弁致し度くお願い申し上げます。黙拝。

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