« 「あらうか」で良いであろうか? | もどる | なんちゃ〜がやないぞなもし »

2007年10月01日 独裁者の気分

「教育改革」だとか何だとか言われている昨今ですが、私が独裁者にでもなって「教育改革」に着手するのなら、次のようにします。(「独裁者」である以上、その者がやることは全て独善的(気狂い的)になります。←ココ超重要)


現在の「教育改革」では、週当たりの授業数を増やすなどという案がありますが、そんなコトは不必要。次の4点を実施するだけで、脱ゆとり教育が可能です。


1.公立学校での体育の廃止=体育教師の全面廃止
2.運動会・体育祭/クラスマッチの廃止
3.修学旅行/遠足の廃止
4.頻繁に教員の実力判定を実施


それでは1の「公立学校での体育の廃止」から説明します。
大体体育は週に3回くらいありますが、あんなものは百害あって一利なしです。その3回は他の授業に使いましょう。運動など授業でやらなくとも、昼休みなどに校庭や学校内の施設でやらせる等の処置をとれば良いのです。そもそも体育教師などという連中は、中高生時代から大学時代に至るまで“一つ”のスポーツをずーとやり続けて来たようなヤツらばかりです。ある特定の競技以外には何の知識も持ち合わせていないようなヤツ。威勢だけが取り柄。つまり「教師」というには相応しくなく、公務員としてはただの税金泥棒のようなモノ。そんなのを雇う必要は無い。将来のことも視野に入れてスポーツを専門的にしたい者は、公立学校以外でやりましょう。体育教師を全面廃止すれば、相当なお金が浮いてきます。スポーツをしたいけれど公立学校以外では金銭的に苦しい者に対しては、体育教師を廃止して出てくるお金を充てて支援してあげれば良いのです。「公立学校での体育の廃止」は「公務員改革」にもなります。
あるいは、最低限度の運動が必要だというのならば、月に1度か2度の体育は構いません。しかしその場合は、手の空いている数学や国語や社会科の教師が監督をすれば良いのです(その場合、特別手当が付くようにする)。特に水泳の授業をするのであれば、ある程度泳ぎが得意な先生を充てる(ちなみに私が通っていた高校に、ほとんど泳げない体育教師がいた。それは明らかに無意味である)。いや、それよりもいっそのことプールなど取り壊して、そこに別の施設を建設すべきであろうか?


2の「運動会・体育祭・クラスマッチの廃止」についてはもう言うまでもありませんね。1に連動してこういう処置になるのです。例年「運動会・体育祭/クラスマッチ」をしていた日はモチロン授業に回す。特に「運動会・体育祭」は練習や準備なんかにも結構な時間がかかるから、コレを廃止するだけで実質3日分=約15〜20時間分くらいの授業時間が確保できます。効率的!


3の「修学旅行/遠足の廃止」。こんなものは現代において、もはや不必要です。いまさら集団で旅行に行く必然性なんてありましょうか? お金もかかります。修学旅行を廃止すれば、またかなりの授業時間が確保できます。それに加えて、学校や行政が修学旅行のために負担していたお金を授業のために用いれば良いのです。つまり教材や学校の施設を充実させるために。
昔は比較的貧しく、家族や知人との旅行も限られていたから、学校で旅行に行くコトが重宝されたのでしょうが、もはやそんなモノは不必要。時代遅れの典型です。
遠足に関しても同様であります。まぁ、一度や二度くらい息抜きとして必要かもしれませんが、毎年行く必要などはありません。


4の「頻繁に教員の実力判定を実施」というのは、どれだけ授業時間が確保出来て、どれだけ施設や教材が充実しても、肝心の教師がダメならば意味がありません。ロクでもない教師を発見するために、かなり念入りな実力判定をして、篩に掛けましょう。実力判定の方法も複数考え出して、様々な基準を参照するのが理想的ですね。
現在、教師希望者の数は多過ぎるくらいいると言われています。教師になりたい者が溢れ返っているのです。ロクでもない教師が教壇を占有し続ける現状は撤廃されるべきです。実力と熱意のある者が子供たちの前に出られる状況を作り出しましょう。


大雑把に述べると、こういうコトをしてみるだけで、脱ゆとり教育が可能となるでしょう。
あとは最近取り上げられている「道徳」の必須化とか、馬鹿親に対する対処方法や、授業で扱う範囲(特に数学-算数-や歴史)なども、教育現場においては重要な問題です。しかしまずは上記の4大改革を実施して、環境整備から!
学校の在り方を考え直す必要があるのです。


以上、「独裁者」の気狂い「教育改革」提言でした。

« 「あらうか」で良いであろうか? | もどる | なんちゃ〜がやないぞなもし »