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2007年09月14日 何から「脱却」したかったのか?

前回、「『安倍晋三という男は何がしたかったのか?』この問題もまた人間の知能を超越したところのモノでしか明確な判断を下せないのではなかろうか。」などとアホみたいなコトを書いたのがいけなかった。早合点というヤツでっせ。まぁ半ば分かっていて書いたのだけど。
あのオッサン、いや安倍さんが結構お仕事をしたのは知っているよ。少なくとも橋本や森などよりは数倍頑張ったと思う。


【安倍政権の歩み】


大雑把に抽出してみても


平成18年10月9日の「北朝鮮が核実験」をした後の、北への経済制裁。
同年12月15日の「改正教育基本法が成立」
平成19年1月9日の「防衛省発足」
同年4月6日の「日本版国家安全保障会議(NSC)創設関連法案を提出」
同年5月14日の「憲法改正のための国民投票法成立」
同18日の「集団的自衛権行使の憲法解釈見直しを検討する有識者会議が初会合」
同年6月20日の「教育改革関連三法が成立」


なかなか良い仕事をしている。
特に北朝鮮への経済制裁や防衛省への昇格や「国民投票法」やロクでもない怠慢教育(ゆとり教育)現場の見直しをはかる「改正教育基本法」や「教育改革関連三法」。これらはどれも当然ともいえるものだけど、気狂い売国マスコミの宣伝によって現在ではことごとく無視されるか、まるで失策のような印象すら与えられている。コレはやや不幸なことである。
また以上の他にも少年法を改正したり、(まったく不十分ではあるが)公務員改革に向かうポーズを見せたり、それなりの頑張りがあったのは確か。
一年でこれだけのことをやったのだから、バカにはできない。


しかし、私がどうしても嗤いたくなるのは、安倍さんが述べていた「戦後レジーム」の正体がついに解からず終いに終わってしまったから。
教育基本法を改正し、そして憲法を、それも特に9条を改正(破棄)すれば済む「レジーム(体制)」なのか。いやいやそんなもんじゃなかろう。おそらく安倍さんが思い描いていた「戦後レジーム」なるものは、一つや二つの法を改正したり、憲法を改正(破棄)して安全保障体制を再構築すれば達成されるような生温いものではなかったはずだ。
ド素人の意見で恐縮だが、総理大臣としての安倍さんに欠いていたものは、志向されるべき「レジーム」の姿とそこに向かう「必然性」のようなものを解り易く国民に対して説明する姿勢であったのではないか。結局、振り返ってみて感ずるコトは、安倍晋三という人物は自己完結的かつ抽象的で曖昧な観念を自らの政治目標としてしまい、まるで一介の「思想家」のような状態を脱し切れずに終わった残念な総理であったというコト。


繰り返しになるが、国民の多くが的確に説明できないような「戦後レジーム」というキーワード、そして気狂い売国マスコミの宣伝に対応できなかった点。これがカナシイ。
しかし、だからといって、何でも彼でも国民に伝えよう、分かってもらおうとする姿勢は逆に危険だ。為政者が過度に国民の側にすり寄るコトで究極的に辿り着く場所は、政治家の権限の喪失・無能力化であり、それはハイエクが「無制限の民主主義」と表現した世の中の混乱を意味する。
そういう点を考慮しながらも、政治家は最低限の理解を国民に求めねばならぬのだが、果たして安倍さんにそれが出来ていたか。


より明確な志向されるべき21世紀の「レジーム」を打ち立て、気狂い売国マスコミを逆に手玉に取れるような有能な総理大臣を!
・・・・無理か、無理だよな。こんなコトを言っていると、コッチの方が「思想家」みたいに思えてくる。トホホ…

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