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2007年08月22日 佐賀北高校に思う

普段高校野球には興味が無いけれど、今日の決勝戦は見ちゃったなぁ。
応援していた佐賀北高校が奇跡のような劇的展開で優勝。まさかの逆転満塁HR! 正直、唖然とした。「がばい」ねぇ。がばいがばい! まるで自分のことのように喜ばしかった。審判!審判!そして久保君、副島君、久保君!副島君!久保君のポーカーフェースに惚れた!


田舎の公立高校が甲子園で勝ち上がる、そういうのって何か良いじゃないか。
先日書いたが、私の母校も田舎の公立校なのに甲子園に出場し、そこでも勝ち進んだ。私は応援に行かなかったんだけどね。
そういう記憶もあるせいか、田舎の学校の活躍を知ると、無性に親近感を覚える。


例えば世の中には、高校バスケや高校駅伝のために、身体能力の高い黒人選手を呼んで来てまで勝とうとする学校が存在する。それも一つの現代学生スポーツのあり方なのかもしれないが、一方で今回の佐賀北高校のように全員が地元出身者で、しかも一日の練習時間が2、3時間の学校(参考リンク:高校野球・練習1日2、3時間―佐賀北)が勝つことだってある。そこに勝負の面白さを見出せるってモンだぜ。
数ヶ月前には高校野球における「特待生問題」が新聞紙上やニュース番組を賑わせたが、今年に限っては「特待生」のいた学校―全国から優秀な選手をかき集め、一日に5、6時間以上の練習を積んでいるような学校―のどこも最後までは勝ち残れなかった。ウン、それで良いんだ。たまには。
まー、しかし、私の母校などは田舎の公立校のくせに練習量は私立校並みで、平日でも一日に6時間くらいはやっていた(いる?)が。


失礼かもしれんが、佐賀県という比較的地味な県の公立校だから尚更好感が持てる。例えば、東京や神奈川や愛知や大阪などの公立校が活躍しても、私はそれほど興味を持たない。


はなわが佐賀の地味さをネタにして、一世を風靡したのはもはや過去の事。彼のネタに「佐賀の学校が高校野球で優勝した時に、地元のテレビ局はゴールデンタイムに決勝戦を延々と放送し続けた」というのがあった気がする。本当かどうかは知らんが、もしかしたら明日から佐賀県のヒトたちは毎晩今日の決勝戦を見ることになるのだろうか。・・・なワケない、よね?


佐賀北高校からはポジティブなエネルギーを貰った。
エリートじゃなくても、一日に何時間も死ぬような練習を積み重ねなくても、最低限+αの努力と明確な強い気持ちがあれば、「何か」が噛み合って上手くいく場合もあるということ―時として今日のように一発大逆転も!?―。その「何か」とは?それを掴むためにはどうすれば良いのか? ココが一番の問題なんだな。だが、それがハッキリとしてしまえば、エリートしか勝てない世の中になる。だってエリートがその「何か」を知ってしまえば無敵だろうから。
おそらく佐賀北高校の選手たちも、その「何か」をハッキリと認識できていないだろう。世の中には万人の目に見えず、頭でも理解できないモノが存在するが、それは或る時に勢いとなり自分たちの背中を押してくれるコトもある。そのような不可思議な「何か」があるから、勝負は面白い。「勝負に絶対はない」と云われる所以はこの辺りにあるのだろう。
天晴!

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