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2007年07月24日 「ジギール」と「ハイド」

竹山道雄に『ハイド氏の裁き』というエッセイがある。
これは「東京裁判」を素材にして書かれた短い文章であり、当初はGHQの検閲により発禁になったものである。
ここではその内容と核心に迫ってみることにする。


竹山が東京裁判の傍聴に行ったときのことである。

この日に論告されてゐたのは、まだ新聞にも報道されたことのない人であつた。その顔もつひぞ寫眞(写真)でも見たことがなかつた。…(中略)…その様子はすさまじかつた。全被告席を壓倒(圧倒)してゐた。他の被告たちもみな落ちついて、考への狭い人間のもつ威嚴といつたやうなものをもつて、一種の凄味を發散してゐる人たちではあつたがこの未知の被告に比べては影がうすかつた。その獰猛兇惡な風貌はかつて映畫(映画)で見たハイド氏にそつくりであつた。
 法廷で私語は禁ぜられてゐたが、私はそつと隣の人にきいた。
「あのあたらしい被告の名は何といひますか?」
 隣の人は教へてくれた。
「近代文明といひます」


【※ 原文に忠実にあらんと思い、旧字体をそのまま記しました。(一発変換できなかったから、出すのにすっごい大変だったの。読み辛いと思われる部分にだけ、括弧中に新字体を記しておきました。親切!)】

これは架空の東京裁判であり、したがって架空の物語である(ただし、キーナンは冒頭陳述において「文明」を原告とする旨の発言をしているが)。
竹山がここで問題にしようとしているのは、すなわち真に裁かれるべきものは、東條英機や松井石根といった「A級戦犯」とされた人々よりもむしろ「近代文明」そのものであるということだ。
これは瞠目すべき着眼点であるといえる。
もう少し見てみよう。


(被告人「近代文明」はー筆者註)長ずるに及んで、ある時期にいたつて、俄然かゝる醜惡なる半面に變貌(変貌)するやうになりました。今もなほジキールの姿のときには、驚嘆すべき業績をあげ、高潔な品位を保つてをります。しかるに、彼は一たび國際的貧民窟に足をふみ入れると必然的に、このやうな暗黒な魔物となるのであります。
 この大切なことがまだ知られてゐません。
「持たざる國」の國民すら、なほこの男のかがやかしい少年時代の姿のみを念頭に描いてゐます。さうして、若いジキールをたよつて救ひを求めました。しかるに、あにはからんや、彼はこゝでは老いたハイドであつたのです。
…(中略)…
 この被告が「持たざる國」に入ればかならずハイドの姿に轉(転)ずるといふことは、眞にゆゝしい大問題であります。これは將來のためにもお十分に檢討されねばなりません。…(中略)…また被告がいつからかういふ分裂をするやうになつたか、またいかなる條件が具はるとかゝる姿になるのか、これらのことは將來學者によつて徹底的に研究されるべき問題であります。


竹山は指摘する。「近代文明」には「ジキール」と「ハイド」という二つの姿があると(ここでいう「ジキール」と「ハイド」とは、スティーヴンソンの『ジキル博士とハイド氏』によるものと推定される)。「ジキールの姿のときには、驚嘆すべき業績をあげ、高潔な品位を保つてを」るのだが、それが「國際的貧民窟(戦前の日本のような国を指しているー筆者註)に足をふみ入れると必然的に」「暗黒な魔物」すなわち「ハイド」になるのだという。そして「暗黒な魔物」(=「ハイド」)となった「近代文明」は、「ありとあらゆる科學的利器を使ひ」、自己の力を確立する。さらにそれをより徹底するために、「近代文明」である

被告は自分の所有のうちでもつとも立派なもの━━學問の力を貸與(貸与)しました。政治學、社会學、ありとあらゆる自然科學、さらには哲學や心理學のやうなものまで提供し…(中略)…さうして、支配下にある人間は、その心理の底までを改變され、命ぜられるまゝの世界觀を信奉し、あるいは正氣の沙汰とは思へない幻影を描き、あるいはニヒリズムをもつて「悠久の生命に生きる」所以と考へ、つひにはみづからの人間的價値をすゝんで抛棄することに満足を覺えるまでにいた
らしめるのである。そのような世界において、人々はいうまでもなく「反抗はできない。情報はもたない。發言の自由はない」、ただその支配に屈服するしかない状態に立たされる。


ここで竹山が言わんとしていることは、他でもない「近代文明」が「前近代的文明」に打ち克ち、それを全批判するために用意された「東京裁判」及びアメリカの占領政策に対する批判である。アメリカ(英米)の「近代文明」が日本の「侵略的で野蛮な文明」を打破したのだとする、占領期にアメリカが定着させようとした歴史観(結果としてそれは広く定着することになったが)に対する、根底からの批判の声が、ここには存在している。
竹山がいう「ジキールの姿」のときの「近代文明」は「高潔な品位」を持っているが、それが「ハイド」の姿に豹変するとき、人々から自由を奪い、思考停止させ、虚空の観念の中に埋没させてしまう。そのような「近代文明」の悪しき顔を、我々はアメリカの「近代文明」の中にも見出すことができる。それこそ、すなわち「東京裁判」であり、言論弾圧が徹底された占領政策である。人々に反抗を許さず、情報を制限する極めて許容範囲の狭い社会が構築された一連の欧米諸国による歴史を振り返るとき、竹山がここで指摘している「近代文明」が合わせ持つ二つの姿に関する問題を、我々は無視することができないのである。アメリカが「前近代的文明」であると否定した戦前の日本の文明と、戦後のアメリカによる戦犯裁判及び「近代文明」を植え付けるための占領政策、竹山にいわせるとこの両者にはともに「ハイド」の姿の「近代文明」である。
元来「ジキール」を標榜して一貫した態度を維持してきたつもりのアメリカですら、戦後において「ハイド」の姿を現わしたのだ。これは戦後間もない頃の日本をめぐって、「ハイド」が「ハイド」を支配していたことに他ならない。こうしたこと念頭におき、上記の中の次の一文を読むと、「近代文明」というものの何とも言えない不可解さを思わずにはいられない。「『持たざる國』の國民すら、なほこの男のかがやかしい少年時代の姿のみを念頭に描いてゐます。さうして、若いジキールをたよつて救ひを求めました。しかるに、あにはからんや、彼はこゝでは老いたハイドであつたのです。」
これらの点においても明らかなように、「近代文明」とは、アメリカが戦前の日本を卑下していう「前近代的文明」というものと決して異質なものなどではなく、ただその変質形態に過ぎないことが指摘できる。
竹山の論をもう一歩前進させてみれば、あの戦争は「近代文明」が「前近代的文明」を打破するための戦争ではなく、二つの「近代文明」の衝突ー「ハイド」対「ジキール」ーだったことになる。(それにしてもGHQが発禁処分にしたことも納得のいく、激烈にして刺激的な内容である。そして、アメリカの占領政策真っ直中の1940年代後半にここまでの洞察力を備えていた竹山道雄という人物に対しては、只々驚嘆するばかりである。)


文字通り、敗戦までの日本には至るところに「國際的貧民窟」があり、敗戦後の日本もまた何も無い「國際的貧民窟」であった。終戦後、そこに「足をふみ入れると必然的に」、「ジキール」の「近代文明」を維持してきたアメリカも「ハイド」の「近代文明」を持つ国へと変質することとなった、いや変質せざるを得なかったのだ。
「泥沼」というありふれた形容詞で語られることの多くなったイラク戦争も、今まさにアメリカが「國際的貧民窟」であるイラクにおいて、「ハイド」の姿に転じざるを得なかったが故に打開困難な状態に陥っているといえるのではなかろうか。
竹山の「近代文明」に対する瞠目すべき見解は、今なお生きている。


何もイラク戦争に限ったことではない。「近代文明」が備え持つその脆さを今一度考慮する上で、この「ハイド」と「ジキール」という二面性は大いに示唆的なものである。
「近代文明」は決して単一ではない。複数の形態があり、それが如何なる態に変容するかという点にこそ、我々は注意を払わねばならない。そしてまたそれは、常に不変で一定の型を維持し続けるものではなく、ある機会を境にして土砂崩れの如く人々を傷つけ、あらゆるものを容赦なく略奪し、排撃していくものとなる可能性を多分に含んでいることを、決して忘れてはならないのである。

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