« おバカさん | もどる | 何を書いているのか解らない »

2007年07月17日 夏本番前の声

今年の夏はスロースターターのようだ。まだ本格的に暑くはならない。
暑くならないのを良い事に、前言撤回させてもらう。しばらくタバコに関する個人的苦言は書かないと言ったが、夏本番を迎える前に、もう一度だけ書かせてもらう。そして、これは偽らざる私の本音であり、あるいはこういうコトを記すと人間性を疑われる可能性を多分に含むが、それもまぁ、良しとする。ありのままを出す。これさえ言ってしまえば、もう私の言う事は無くなるんじゃないか、と思うくらい、私の心境を全て吐き出す。


最近の若いヒトは喫煙率が下がってきている、と言われるが果たして本当か。今の言葉で言えば「マジ」か?
高校生でも吸いまくっているぞ。男女関わらずに。ロクでもないヤツばかりだ。(←自己を忘却した発言!?)


一昔前のヒトたち、つまり私の父親くらいの年齢のヒトたち(団塊の世代前後のヒトたち)の話を聞いていると、「お前も大人になったんだから」と、タバコを吸うように勧められることが多かったようだ。“男の嗜み”としてタバコを吸うのは、ひとつのステータスであり、車の免許を取るのと同じような感覚でタバコを覚えたということである。確かにその年代のヒトで喫煙者は多い(その世代の喫煙者は主に男だが)。時代と環境によるものか。


しかし時は流れ、世界的にタバコがタブーとなりつつある現在、本当に若い世代で喫煙率が下がってきているか。【重要ポイント:以下、昨今の時流である“タバコはタブー”という認識に盲目的かつ過激に依拠して話を進める】


もはや“男の嗜み”でも無くなり、タバコを吸う事が一人前の証でも無くなった現在においても、かなりの喫煙者がいるように思えてならない。
彼らを見ていると、タバコを吸う=カッコ良い、というまるで共産主義を信奉するのと同レベルの浅はか過ぎる認識で喫煙者になった者が多いような気がする。それこそ不良中学生がカッコをつけて吸うというレベル、非常な低レベル。阿呆である。馬鹿である。勘違いである。勘違いに気付いていないから、尚更勘違いの馬鹿である。
好きで吸うなら良い。何も違法行為じゃないんだから、好きにすれば良い。しかし、喫煙行為そのものをいかにもクールな人間の代名詞であるというような、時代遅れの感覚で喫煙しているヤツは、消えてしまえば良い。そんなものは精神錯乱者と変わりはしない。気狂いである。気狂いであることに気付いていないから、尚更気狂いの馬鹿である。吉本隆明は転向について「日本の近代社会の構造を、総体のビジョンとしてつかまえそこなったために、インテリゲンチャの間におこった思考変換をさしている(『マチウ書試論・転向論』)」という有名な定義付けをなしたが、それをモトにして勘違い喫煙者についていえば、「己の感覚が時代と乖離したものであるということを捉えそこなったために、自我の中だけに没入し完結する、偏狭的思考をさしている」という具合になる。
1970年代半ば以降に生まれた者で、未だにタバコを吸う=カッコ良いなどと捉えているヤツは、副流煙以上に有毒な存在である。隔離した方が良いかもしれん。社会的に区別されて当然である(区別であり、差別ではないことに注意して欲しい)。というか、社会的に区別すべきである。区別しなければならぬ。有毒汚染存在!近寄ルベカラズ!


・・・もう良い。久々に腹の底から声を出した。これで本当にタバコに関するコトはお休み。
ハイ、失礼致しました。夏よ、ウェルカム。

« おバカさん | もどる | 何を書いているのか解らない »