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2007年07月12日 未知の存在

コンビニで大量の買い物をしているヒトを見た時に感じる気分は何だろう。上手く言葉にできないが、ちょっと残念な気分になる。う〜ん・・・
ヴィトゲンシュタインが「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」と言ったが、まさに沈黙しなければいけないのだろう。適当な言葉が見つかるまでは。


そもそも、言葉に出来ない、というのはまだハッキリと認識できていないということだろう。
本当に認識できているものについては、すぐに言葉が出てくるはずである。空腹を実感すれば「お腹がすいた」と言える。殴られているヒトを見れば「痛いだろうな」と思うコトがある。いずれもその感覚を理解できているから、言葉が出てくる。しかし、コンビニで大量の買い物をしているヒトを見た時の妙な気分を上手く表現できないのは、すなわちその気分をハッキリと認識できていないからに他ならない。「何となく分かっているんだけど、上手く言葉に出来ないんだよなぁ」というのは、本当はまだハッキリと認識できていないということである。それは感覚として分かっているだけで、頭ではまだ理解できていないということ。頭で理解できてこそ(言葉で説明ができてこそ)、一つの完全なカタチの認識が成立する。


元来人間というのは言葉を使わずに物事を考えることができない。
頭の中から言葉を消して、生きていく事はできない。
言葉を忘れろ、言葉を使うなと思っても、「言葉を忘れろ、言葉を使うな」という言葉を使っている時点でアウト。
言葉がなければ文明も生じない。


誰か忘れたけれどもー多分どこぞの哲学者だったと思うー、言葉とは妥協の産物である、というようなことを言った人物がいた。
私たちが今、物事を認識するのは言葉を介してのみである。リンゴを見れば瞬時に「リンゴ」という言葉が出てくる。「リンゴ」という言葉が出てきた時点で、認識が成立する。仮に現在「リンゴ」と呼ばれているモノに対応する言葉が無ければ、私たちはそれを「赤くて丸くて手のひらに乗るくらいの大きさで木になっているモノだよ、ホラ 分かるだろう?」と言わなければいけない。そんなコトをやっていては、情報交換や意志の共有などできたものじゃない。だから、手っ取り早く情報交換や意志の共有をするために、ヒトは言葉を生み出したのだ、とか。
「赤くて丸くて手のひらに乗るくらいの大きさで木になっているモノ」などというのでは、認識活動において限界があるから、それは放棄せねばならない。そこで共通のモノを指示する言葉を作り出した。それが「リンゴ」というモノに他ならない。
結局、言葉は妥協の結果なのである。面倒なことはやってられないと投げ出して、便利な方へと向かったのが、人間の認識能力を高める事になった、というおハナシ。


誰でも物を見て、それを認識する時には言葉が出てくる。言葉が出て来ない物は、自分が知らない物であり、もしくはまだ世間に知られていない物であるかもしれない。
私からすれば、コンビニで大量の買い物をしているヒトに対する適切な言葉が出てこないのは、そのヒトが私にとって未知の存在であるということだ。ワケの分からない存在なのだ。スーパーで買った方がお得だろうよ!

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