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2007年05月23日 貫き通す哲学?

暑くて嫌になる。もう何か色々死ねよ、と思わず言いそうになる。っていうか、多分無意識のうちに何度か言ってる。


しかし、学校に行くと、当たり前だけど、そこには色々な学問を専攻している先生がいる。
先生たちを見ていると、学問はヒトを作るというのは、ある意味で正解だと思う。ハッキリとは言えないけど、自らが専攻する分野によって人格がかなり決定されてくるような感じ。
とりわけ妙な先生が多いのは、何といっても哲学をやっているヒトだ。
哲学を教えているような教授の特徴を大雑把にいうと、こうだ。
彼らはほとんどが軟弱な体格。筋骨隆々でスポーツ刈り、見た目が強そうな哲学専攻者などはいない。実に頼りなさそうな体格で、目つきも虚ろ。睨まれても何も怖く無い。というか、ヒトを睨むような顔つきではない。
髪型もスッキリとはしておらず、無造作に中途半端に伸びていたり、無理にセットしていたりで、お洒落という感じではない。喋り方もハキハキとはしておらず、何を言っているのか聞き取れないこともあるような感じで、突然どーでも良い話をし始めたりする。だが、喋るときは常に冷静で、感情を前面に出したりはしない。口論をする時でも、相手の言うことを最後までよく聞いてから、ゆっくりと反論していくような感じのヒトたちだ。
所謂体育会系の連中とは正反対にいるヒトたちであり、捉え所のないオジさんたちが多い。
おそらく、哲学を専攻して、教授にまでなってしまったようなヒトは、他人を気にしたりはしないのだろう。だって哲学なんて難解な言語を駆使して論文を書くような分野で、毎日やれ実存主義だのやれ構造主義だのやれポスト・モダンだのやれルサンチマンだのというものと格闘しているワケで、そうした難解で特殊な分野であるが故に、どこかに優越意識のようなモノが生まれているのかもしれない。俺はニーチェが分かる、俺にはハイデッガーの欠点が分かる、俺はフーコーのココから影響を受け、評価をしている、などという思いが、他者との差別化に繋がる。凡人と才人のような感覚。すると凡人にどう見られようが、そんなモノは意に介さない、となる。凡人のオレを見る目など、何の価値もないというコトになり、彼らは非常に特殊な存在になっていく。それが外見にも出てくるのではないか。ニーチェだって他人を見下していたなんていうしね。


哲学をやっている教授たちは、憎らしいほどマイペースな感じを受ける。
彼らと他者との間には異なる時間が流れているような雰囲気でさえある。
ただ、そういう雰囲気は悪く無いかな、とも思う。
例えば、他人をカッコ良いと思うのは良い。誰にでもあることだろう。でも、ソレを真似してしまったら、その時点で自分はカッコ悪くなる。そういうことに自覚的な感じが嫌いにはなれない。
これはあくまでも私の主観だけど。
哲学をやっているだけあって、その生き方にも独特の哲学がありそうな感じを、時に受ける。それがやたらと愉快であったりする。でも、だからといって、哲学をやっている教授のようになりたいとは思わないけれども。


暑いから、またどーでもいーことを書いてしまった。
追伸 今日の白鵬の相撲は悪く無かったよ。もう横綱になっても良いね。優勝しそうだし。昨日、朝青龍が負けた段階で、かなり現実的になったと思う。もしかすると全勝優勝とか・・・まさか!?

コメント

友達に「お前は哲学者だな」
と冗談交じりに言われ、自分はやはり他人を見下しているんだな、と
実感しました。
やっぱりそうなのでしょうか。

どうも、このブログを書いているキチリンと申すモノです。

その友達がどういう状況で「哲学者」という言葉を使ったのか、が分からないので何とも言えません。ただ、
哲学者=人を見下している
というイメージは、それほど一般的なモノではないと思いますし、私自身もそのようなイメージを強く持っているワケではありません。

物事をちょっと難しく考えてしまうヒトに「お前は哲学者だ」ということもあると思います。
哲学と無関係なヒトに向けられる「哲学者」という言葉、そこに含まれる意味の全てが悪いモノであるとは思いません。
もしかするとその友人は、あなたのセリフや表現に対して「面白いヤツだ」という意味で「お前は哲学者だな」と言ったのかもしれません。その辺の事情が分からないので私からはハッキリとしたことが言えないのですが、一概に「哲学者」といっても悪い意味ばかりではないということを、ここでは強調しておきたいと思います。

もし「哲学者」という言葉に対して、自分に何か思い当たるフシがあるのなら、彼のその言葉はあなたにとって自分を見つめる一つの大きなきっかけにもなるでしょう。
物事はそうやって色々とポジティブに捉えていこうとすると、思いがけない所でプラスに転じたりするものです。

ちょっと偉そうなコトを言ってしまいました。お気を悪くされたならば、お詫び申し上げます。
それでは。

問題ありません。
自身でおぼろげに感じていた事を、
年上の友達に「シンプルに表現」
されて嬉しかったくらいです。

キチリンさんの哲学者に対しての
「主観」が、あまりにも私のそれと
合致していたものでつい。

思想や指摘に気を害したりしません
ので、大丈夫です。

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