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2007年05月14日 生まれてはじめての「おめでとう」

「お誕生日おめでとう」と言われても困る。誕生日の何が「おめでとう」なんだ。「今日は僕の誕生日です。今日で22歳になりました」と言って、「おめでとう!」と返されても・・・。それは今までの22年間無事に生きて来られて「おめでとう」というコトなのだろうか。それなら、まだ少しは分かる。でも、それ以外に何が「おめでとう」なのかは分からない。22歳そのものがおめでたいワケでもないから、「おめでとう」を言うのならば節目になる年が良い。10歳、20歳、30歳・・・50歳、100歳と。それは十分「おめでとう」だ。でも、22歳とか28歳とか42歳のどこに「おめでとう」の意味があるのかが分からない。中途半端は良く無い。しかも42歳なんて厄年だからな。「今日は私の誕生日です。今日で42歳になりました」と言えば、「ああ、そうですか。厄年じゃないですか。可哀想に。まぁ、頑張って一年過ごして下さい」くらいなもんだ。
一般的には、誕生日、自分が生まれて来た日、我が人生が始まった日、それをおめでたいというのだろう。でも、自分が生まれたことを、自分で「おめでたい」と思うヒトはまずいないだろうから、他人から「おめでとう」と言われることは、「ああ、そうか。俺の人生の始まりの日を、つまり俺の存在の根本を、こうやって決まり文句的にではあるが、おめでたいと声をかけてくれるヒトがいるのか」と思うくらいなわけで、畢竟、「お誕生日おめでとう」は自分自身にとっての慰めの言葉くらいにしか思えないのだ。それならばいっそのこと「誕生日ですか。今日で22歳ですか。まだそんなモンですか」とでも言われた方が、逆にスッキリして、活力が湧きそうなもんである。
最後に。例えば45歳になる男盛りのオッサンに「今日は課長の誕生日ですか!今日で45歳ですか!!それはおめでとうございまぁーす!!!」などと言うのは少し変で気持ち悪いから、やっぱり「45歳になられたんですね。45年の積み重ねが顔に出ていますよ。ご立派な人生ですね」くらいにしておくべきだと思う。45歳、課長の誕生日に「おめでとう!」は、無いよなぁ。


「生まれてはじめて」と言う意味が分からない。それはつまり「はじめて」ということだろう?じゃあ何でわざわざ「生まれて」などという余計な言葉を付け加える必要があるのだろうか。「生まれてはじめて」と「はじめて」に違いがあるのかな。
「私は今日、生まれてはじめて痴漢をした」
「私は今日、はじめて痴漢をした」
「彼は、生まれてはじめて亡命をした」
「彼は、はじめて亡命をした」
「彼女は、生まれてはじめて大統領になった」
「彼女は、はじめて大統領になった」
同じじゃないか!
「生まれてはじめて」なんていうワケの分からないコトを言ってると、コイツは生まれる前の記憶、すなわち胎内での記憶でもあるのだろうかと不審に思うし、そもそも蛇足だ。
「お腹の腹痛がヒドイ」とか「歯が虫歯になった」などと似たようなもので、本来必要のない言葉を重ねるのは、それ自体で意味が通じなくは無いが、ハッキリ言って二度手間だ。


今日、私は生まれてはじめて「誕生日おめでとう」が困惑して困ると言った。

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