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2006年08月03日 天国(笑)

世界的に気温が上昇しているらしい。


嗚呼、これは何かの予兆なるか。陽が沈むとも涼しさ訪れんや。
いかにも。朝夕関係なく、陽は我を焼き尽くさんとし、その温もりを置きて立ち去らん。


・・・暑さでアタマがヤられておかしな日本語を口走ってしまった。
ところで天国なんてないよね。
天国があるとしたら、いったいどういう姿でいくのだろうか。
例えば、80歳で死ねば80歳の姿のままでいくのか。20歳で死ねば20歳の姿のままでいくのか。生後2ヶ月で死ねば生後2ヶ月の姿のままでいくのか。それなら、必然的に天国は年寄りだらけということになるなぁ。そんなバカな。
まー、百歩譲って死んだときの姿のままでいくとして、赤子はどうなるんだ?天国にいけば赤子も自立できるようになるのか。
そう考えると、どうも分からなくなる。
もしかしたら、天国なんてトコロは、私たちの想像を絶する環境で、姿なんてモノは無いのかもしれない。
霊魂みたいな存在だけで、感情のみを交換するような場所。年を重ねることもなければ、時間という概念に支配されることもない空間。感情だけが真空保存されたようになり、意識の繋がりのみで存在する。
それなら、まだ、理解できる。
想像し難いことだが。


こういうことを考えると、どうしても天国などというものの存在は曖昧で、最初にソレを提案した奴は見切り発車だったんじゃないかと思う。
人間の中にある死にたくないという無意味な希求。しかし、どれだけ望んでも、死は確実に平等に訪れる。
死後の我が身よ、果たしていかなるものか、という不安。
それを克服するために考え出されたのが、天国というモノの存在だったのではないだろうか。
所謂"この世"で死んでも、また"あの世"で生きられる。次の世界の創造。それがすなわち天国。仏教でいうところの極楽浄土である。厳密には天国と極楽浄土は大きく異なるものだが、死後にいき着く場所という共通点によってこの両者は交わる。
信仰心が篤ければ、死んでもまた生きることができるんだゼ。次はより素晴らしい世界で生きられるんだゾ。だからオレたちは宗教を大事にしなければならない? 生きるのではない、神様に生かされているのだ。それゆえワシらはずっと感謝のお祈りをしなければいけないんじゃ。


生をもって死を意味付ける。日本人は逆なんだろうなぁ。死をもって生を意味付けるんだろう。だから「死際」というものを大事にする。ここら辺に日本人が特定の宗教(特に西欧起源のもの)を強く信仰しない要因の一端があるかも分からん。

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