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2006年03月11日 超個人的古谷実解釈

古谷作品スケールの大きな漫画というのは、往々にしてウケやすい。
そんなのは当たり前のことだ。そういう漫画は読んでいてワクワクするし、予想もつかない話の展開に読者が釘付けになるからだ。
古谷実の描く漫画は、そういった大きなスケールというものからはかけ離れている。にも関わらず古谷作品が面白いのは、描くテーマが一貫しているからではなかろうか。


古谷実という漫画家の描く世界は、そのほとんどが将来に希望を見い出せないでいる少年たちが主人公だ。彼等は常に小さな世界で生きることを望み、決して大きな一歩を踏み出そうとはしない。極めて現実的でシュールな考えを持ち、周りに悪影響を及ぼすこともしばしばある。
いわゆる"青春時代"の少年にありがちなコンプレックスやジレンマを持っていながらも、その本質は他の少年たちと比較すれば、極端に偏っていたり、変態的であったりする。


古谷作品では、現実世界ではほとんど考えられないことだが、そんな少年たちに好意を寄せる非常にカワイイ女性が現れる。
それは「行け!稲中卓球部」における神谷であり、「僕といっしょ」における小川ユキであり、「グリーンヒル」における横田であり、「ヒミズ」における"茶沢さん"であり、「シガテラ」における"南雲さん"である。
どう考えても不似合いなカップルを、古谷実は描く。しかし、いずれの場合も彼等の恋愛は、最終的に成就することはなく、不発のまま物語は幕を閉じる。
古谷作品は決してハッピーエンドにはならない物語ばかりだ。そして「シガテラ」を除き、いずれの作品においても、少年たちは成長することなく終わっていく。


冒頭に記したように、古谷実という漫画家は今までこのような不変のテーマで漫画を描いてきた。
平凡を望みつつも、周囲の状況によってちょっと変わった日々を送らざるを得なくなった少年たちの苦い日々と甘い瞬間を巧みに描き分けることができる、希少な漫画家である。


私が古谷作品に惹かれる理由は、作中に出てくる少年たち程ではないが、私自身も同じように現実と理想のジレンマを抱いていた(いる)記憶があるからだ。
様々な苦悩から脱却できることなく、惰性で毎日を送っている中、そこにちょっとしたスパイスが注入されるといいな、という淡い期待。
例えそれが不発のまま終わろうとも、夢のような瞬間を経験したいと思ったことがあるならば、その何とも言えない感情は理解できるはずだ。


古谷実の漫画には、自分の苦々しい記憶を思い起こさせる要素がたくさん含まれている。それは良いものも悪いものもあり得ないものも、全部含めて笑い飛ばせるように演出されている。
過去の記憶をチクリと刺激する、その描写の数々に私は惹かれ、様々な感情を思い起こし、ある種の親近感を持つ。と、同時に少し心が痛んだりもする。


作中に出てくる少年たちの多くは、特異な人物が多いが、そんな彼等の中に多少なりとも、懐かしさに似た感覚やともすれば憧れとも取れるような微妙な思いを覚えるのだ。


結局のところ、古谷実の漫画というのは自分の中のネチョっとした過去の記憶とリンクする一方で、「そんなことねーよ!」と笑えるものである。
現実と理想の挟間で悩んでいた昔を思い出し、懐かしさに浸る一方で、登場人物の行動に時として引くこともある。それでも、こういう"青春"ってのも、もしかして面白いんじゃ? と心のどこかで感じさせてくれる所に古谷実の最大の魅力が秘められている、と私は勝手に解釈している。

コメント

みごと

お見事です

いやいや、彼のテーマは、恋愛とかではなく普通の生活は何かを探し求めていく少年少女の苦悩を描いているのでは?

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