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2009年05月30日 爺ちゃん ありがとう!

先日祖父が亡くなりました。
暫く前から覚悟はしていたのですが、いざ亡くなったとなると、何とも適切な言葉が浮かんできません。わたしのなかでの祖父との思い出は断片的なものが大半を占めていて、しかしその断片を数え上げてゆけばキリがないくらいに多いのです。わたしが3歳くらいの頃から、最後に会った今月の上旬まで、本当に色んな光景が刻まれています。わたしのなかにある祖父──いつもは「爺ちゃん」と呼んでいました──の姿、それは、あまり笑わなかった爺ちゃん、細身ながらも畑仕事で鍛え上げた腕力が自慢だった爺ちゃん、高校野球をよく見ていた爺ちゃん、大相撲をよく見ていた爺ちゃん、NHKのニュースをよく見ていた爺ちゃん、そのくせ受信料をずっと払っていなかった爺ちゃん(あんなモノは払わなくても良い)、薪で風呂を沸かしていた爺ちゃん、同じ話を何回もしてくれた爺ちゃん、朝起きると真っ先にヒゲを剃っていた爺ちゃん、曲がった腰で急坂を登り降りしていた爺ちゃん、お酒が好きで酔っぱらって胡座を組んだ体勢で鼻水を垂らしながら寝ていた爺ちゃん、一年くらい賞味期限の切れたお菓子を平気な顔して「食べろ食べろ」と薦めてくれた爺ちゃん、唯一の海外旅行は戦争による出兵であった爺ちゃん、70歳くらいにして初めてジェット・コースターに乗り「クラクラする」と笑いながら言っていた爺ちゃん、ポカリスエットが好きだった爺ちゃん、ローリング・ストーンズが好きだった爺ちゃん、イノシシを背負い投げした爺ちゃん、タバスコを一気飲みした爺ちゃん、鬼魔人に右腕をもぎ取られた爺ちゃん、「Your inside is out and your outside is in Your outside is in and your inside is out」が口癖だった爺ちゃん、虎の子を飼うと言い出し、家族の猛反対を受けて一時期放浪の旅に出た爺ちゃん、ストーカー市川を見て「コレならワシでもまだいけるかもしれん」と言っていた爺ちゃん・・・・ 思い出は無数に存在します。(上記にあげたもののなかには、もしかするとわたしの記憶違いによるモノが含まれているかもしれません。)


最後に会ったのは今月の上旬。もう長くはないとの報を受け、帰省しました。病気によりかなり衰弱していた祖父は、それでも意識は明瞭で、どうにか会話を交わすことができました。コチラへ再度舞い戻る前日の夜、最後のお見舞いに行った時が今生の別となりました。もちろん、それはわたしの一方的な考えで、祖父がどのように考えていたのかは分かりません。けれども、少なくともその時のわたしには「これで爺ちゃんともお別れだ」という思いが去来していたのです。「痛い所は無い?」と聞いたら「痛い所は、無い」と返答してくれたのが、最後の会話になりました。不器用な会話でゴメンよ。その後眠りについた祖父の寝顔が今でも焼き付いています。


「SOGI」納棺の時、葬儀の時、涙は見せないようにと思い頑張りました。祖父もきっとわたしの涙なんか求めていないだろうと思ったから。その点では、喪主である父が一番気丈でした。納棺の時に祖父に優しい言葉を沢山かけてあげていました。あの時は本当に泣きそうになったので、わたしは咄嗟に鉄拳ばりに「こんな納棺はイヤだ」を考えて気を紛らわしたのです。──棺の横側に「http://www.sogi.com」とプリントされている。(ちなみに葬儀場には葬式専門雑誌であるという「SOGI」なる珍しいモノが置かれてあったので思わず読んでしまいました。巻頭カラーで最先端の葬儀が特集されていました。 参考リンク:表現文化社 雑誌SOGI、右上の画像をクリックすれば大きな画像が見えるよ。安物のケータイのカメラで撮ったモノだから画質は悪いけど気にしないでね。)


火葬場へと向かうため、わたしは祖父の遺影を持って、位牌を持った父と共に霊柩車に乗り込みました。初めて乗った霊柩車。なんと中ではカワイイ声の読経テープがループ再生されていたのです。そして出棺時のあの独特の「プァァァアアア〜〜ン」という悲し過ぎる音のクラクションが、実はトランクを開けるようなレバーを引くことで出されているのだと知りました。なるほど、どうりで通常のクラクションとは音が違うワケだ。こんなことは霊柩車に乗らない限り分かりませんからねぇ。
祖父の遺骨はとても綺麗に焼け残り、頭部から脚部に至るまで、標本で見たような形の骨が次々に確認できました。畑仕事で鍛えたおかげでしょうか、骨格はしっかりしていたようです。骨壺に全てを納め切ることはできませんでした。


慌ただしく葬儀を終えて、翌日には実家を離れ、昨日コチラに舞い戻ってきました。まだ祖父の死が実感できていないような気もします。「孝行したい時に親は無し」と言いますが、それならば当然の如く、孝行したい時に祖父母もありません。祖父への感謝の念は、無数の思い出とともに募るばかりですが、唯一残念だったのが、わたしの方からは何の恩返しもできなかったこと。ゴメンよ、爺ちゃん。
そしてもう一度言っておこう。爺ちゃん ありがとう! どうか安らかに!

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