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2009年01月17日 「RIN」

「RIN」4巻新井英樹サンの「RIN」です。この4巻をもって幕を閉じました。「SUGAR」を経て愈々本格的に愉快になろうかというくらいのタイミングなのに……


天才ボクサー石川凛の居場所はリングの上にしかなかった。彼はソコで歌い笑い踊るのです。この天才、常軌を逸した動きを見せる王者を前に、多くのアンチも次第に飲み込まれ、翻弄され、やがては虜になってゆきます。──天才の異次元性というモノがあるとすれば、この漫画において描かれているが如きモノであるのかもしれません。


それにしても最後の最後でリンの凄さが目一杯に描かれたような感じを受けました。ソレがこの4巻最大の見所。そして例の如く新井英樹特有の大胆な描き方は、本当はハチャメチャに荒いはずの試合の空気の中に、キッチリと静と動をもたらす結果になっているといえましょう。大きな構図と小さな感情の交叉、重なり合う周囲の息遣い、ソレが場のムードに張りを与え、情熱と冷笑、興奮と落胆を織り込んでいるのです。また、迫真の立石、笑うリンといった対照もソコにいっそうの差異を生み出してるように思われます。両者の真逆にある目の色がそっくりそのままボクサーとしての器量にも繋がっている(最初はリンの「色」が大きな壁を作っていたのに、ソレが徐々に他者を喰い潰してゆき、大勢が彼の色に染まっていくのである!)。ですから、パンチを出すタイミング、ヒットの瞬間の表情、リンの神懸かり的な動きの上にそうした一連の模様が仔細に描かれると、天才の光景がより説得力を伴って現出する瞬間へ結びつくというワケです。


このエキセントリックなボクシング漫画が早くも終わりを迎えてしまうのはとても残念なコトです。しかし、一方でこの4巻を見ながらこうも思ってしまいました。すなわち、これ以上にリンの天才ぶりを表現するコトなんてできるのであろうか、と。立石戦で見せたのよりも上の領域で圧倒的にリンの凄さを魅せつけるとすれば、いったいソレはどういう次元になるのだろう。そのように思わずにはいられなくなるほどの熱気と迫力がココにはあった。
「RIN」もリンもその果てが分からぬままに極点へと至ってしまったという思いで満たされます。終わったのは残念ですが、もしかするとココらが適切な引き際であって、“期せずして”ソレが訪れてしまったというヤツかもしれません、コレは。──誤解を恐れずに言うなら、ある意味で本作は破滅的な漫画と呼べるのではないでしょうか。そしてこのような作品を常に生み続ける新井英樹というギリギリところを綱渡りしてゆく漫画家に、わたしは改めて敬服する次第なのです。

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