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2008年10月02日 誰もいない

「自分がいた」って雰囲気の表現がいけ好かないのです。曰く、
「後悔している自分がいた」「涙を流している私がいた」「思わず断崖から飛び降りちゃってる私がいた」……中にはご丁寧に「そこには」なんてモノまで付着させちゃいまして、「そこには微睡みながらも前進するしかないと亡き母に誓った自分がいた」なんて申し上げてしまう可愛い小娘共よ。何でございましょうか! 斯様に唐突な己の客観視は。あたかも自己意識が希薄で、多重人格よろしく或る行動に出た動機を一切見ず知らずってな、虚妄な精神の流布。怒りに狂い切って「キレる」少年、犯行時には正常な意識が保持されていませんで、彼に責任能力の判断は能わずとでも言わんばかりの迷妄告白、ソレは大いなる矛盾。「片手に包丁、片手に魚、鱗を取っている自分がいた」──取れなくても私に責任(能力)はございません。なぜならば途中迄(事実上、終盤迄)、私に健常な意識はございませんでしたので……
コレは極めて危険な状態であると言わざるを得ないのではないでしょうか。この「自分がいた」という五文字は、<無責任>を象徴する魔性の言葉であって、図らずも現代の砂上楼閣的な、風が吹けば一瞬にして瓦解しかねない彼や彼女、オレやオマエ、アイツやコイツの適当かつ理不尽、挙げ句には蒙昧にして投げやりな意識を端的に表出したモノの如き哉。
己の意識や感情すらまともに把握できぬ現代の空虚な精神状況、嗚呼、ヒトは、同一人は、年間に幾度斯かる五文字を用いて自らの正体を暴露するコトよ! 生涯にたった一度ではないのだ! 彼奴は何かあれば「自分がいた」と、己の発見。一体何を理解して何を理解しておらぬのか! 全ての景観は蜃気楼の如くまやかしの実体であると述べますか? 一方で「自分探し」が流行り、かと思うに他方では「自分がいた」の自己認識完了。結局ソレって、実際のハナシ、全然己を“探し当てられていない”し、真っ当に自らの姿を掌握できていませんってコトではありますまいか。──「自分探し」と「自分がいた」──これらは意味をなさぬ表裏一体、前者によって後者を演繹してくることは絶対的に不可能であり、また後者から前者(が本来得られるはずの解答)を帰納するってな芸当も悪魔的に無理な仕業。本当はいるようでいないんです。嘘つきなんです。


ふぅ、今日はこんな感じで良いだろう…

・・・け、けんきょうふかい? そんな難しい言葉知りません><

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