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2008年09月18日 階段、それは雨奇晴好

私は古き階段が好きなんです。殊に山頂に存するお寺、其所に向かうために設けられた古き階段を好ましく感ずる。其れを下から見上げる瞬間の何と趣きあることよ。けれども、階段なら何でも来いってなワケではない。良き階段には条件が備わる。ソレは以下の如し…


《良き階段の条件》
其の壱──横幅が確保されておるコト
其の弐──石で固められておるコト
其の参──段差が低くないコト
其の四──両脇に風情ある木々が茂っておるコト
其の五──最低でも五〇段以上あるコト
(其の六──石階段の場合、凹凸を極力抑えておるコト)


上記の五(または六)条件を全て満たさぬモノは概して悪しき階段と思って大過ない。ただし、京都の三年坂の如く景観で圧倒する緩やかな階段もございます。
理想の階段の具体例を一つ提示しますと、「円教寺 石階段」ってワードでGoogleイメージ検索を試みました場合、真っ先に出てくる画像(平成二〇年九月十八日現在)に見られるモノは、言わずもがなの<秀才階段>に他ならぬ。やや段差が低いのが残念であるけれども、これはこれで実に立派なものだ。
東大寺二月堂の階段も段差さえあれば見事なのだが、 あの階段はまずもって低過ぎる。従って地味。私が段差に拘るのは、段差の低き階段の存在意義を疑うからなのです。老人に配慮して低くしてあるのかもしれぬが、段差が無ければ階段的ではあらぬ。写真に収めました場合でも、「なんじゃこりゃ、これなら坂道にした方が良いのでは?」と思う。絶対的に思う。コレはもはや不可避なり。
私の知見の範囲にあって最も秀逸な階段は、室生寺のそれである。通称「鎧坂」の石階段。(「鎧坂 階段」で検索すれば感動できます、私の場合は。)
思い出ある良き階段は、香川は金比羅宮(通称「こんぴらさん」)のなかにある石階段で、此処は元来階段で有名な寺院ではございますが、老人向けに籠屋もいまして、全部で1368段あることが知られている。さて、ここは階段の良し悪しに著しい差異があって、つまらぬ階段も多いのだけれども、奥の院へと通ずる石階段のなかに、確か一箇所だけ風情ある見事な部分があったはずです。四国で育った縁もあり、三度か四度登っているのでしたが、最後に行ったのは中一くらいの頃であったろうか。十年ちょっとの月日が経過しておるから、記憶が薄れかけて来ている。しかしながら、確実に上記の条件全てを満たす場所があった。私の“階段メモリー”を遡っていった場合、最後には其所へと戻るんです。裏を返せば、其所から全てが始まっている。


階段の魅力は何かと問われれば、行人の意志を煽り立てる点にある。ムムム、この上に、この上に〜 といった或る気概を摘出する。幅が広ければ広いだけ志は大きくなり、長ければ長いほど根気を必要とす。ソコに何とも言えぬ面白味を覚えます。周りにある木々は、時に和やかさを、時に冷徹さを感じさせ、行人に行雲流水、栄枯転変を教授す。
階段は良い。シンデレラも階段が無ければどうなっていたことか。『東京の階段―都市の「異空間」階段の楽しみ方』なる本も出版されていらっしゃいますが、題名から察せられる通り、それは都市のなかの階段に「違和」を見て楽しむが如きモノであって、私の好みとは残念ながら逸れている。『お寺の石階段―いにしえよりの「虚静恬淡」の楽しみ方』ってな本が出版されるコトを切に願っているのです。

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