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2008年09月06日 北の湖理事長に対する「覚え書き」

構わない。何かいけない?北の湖理事長、暴走SHOW


「精密検査の結果が出ても、それが100%とは言えない。本人が否定している以上、もう1回と言わず、(納得するまで)ドンドン調べてもらえばいい」


これでは、2日の抜き打ち検査はなんのためにしたのか。およそ意味をなさない。したがって注目の2人の秋場所(14日初日、両国国技館)の出場についてもこうなる。


「構わない。何か、いけないの。出るつもりで稽古させている」


当事者意識が薄いと批判を浴びるのも当然。朝青龍以外には寛容な脚本家の内舘牧子委員でさえ、こう言って北の湖理事長の対応を冷ややかに切り捨てた。


「弟子を信用し、かばってやりたい気持ちはよくわかる。でも、この問題はそういう情緒に流されるべきではない」


新聞記者にしては奇怪な文章を綴るモノもおることよ…
北の湖理事長は何を考えているのか。およそ理解の範疇を越える。したがって何を申し上げて良いのかわからなくなる。
「ドンドン調べてもらえばいい」ってのは、アレでございますか? 体内から大麻の成分が雲散霧消するまで検査を続行致して、消失した後に「ホラっ!見ろ!やっぱり無実だったじゃないか!」とでも宣う気でおられるのか?
「精密検査の結果が出ても、それが100%とは言えない」という気持ちの背景にあるモノは理解できぬでもない。それに…科学的なモノを全面的に信用するのは、ハイエク流に言えば「設計主義的合理主義」への小さな小さな一歩… 極左思想一直線。まぁ、でもこの場合はやむを得ない。どこかで線引きをしなければならず、この辺のモノに妥当性を見出せないとなると、もはや野蛮状態への退化でしかないのですから。科学万歳は死、科学Noも死。北の湖理事長は双方に手をかけておられる。狡猾。


私がトップのモノを辞任させようとするメディアの風潮が大嫌いなのは、ソレで以て責任をうやむやにしてしまおうとする幼稚な“感情”に支配されているように見えるからで、所詮メディアに関与する連中なぞはその程度の浅薄さなのだろうけど、しかしながら、北の湖理事長の如く意味不明なほどトップの座に固執し続けるというのも、また浅薄なり。
あのヒトは自他の区別が異様にハッキリしている。すべてを他人事として捉えられる冷徹な眼を備えている。それは場合によって必要な特性であるのだけど、「腐ったミカン」を撤去し忘れて、全体を見殺しにするコトがあり得る。ソレに思い至らない。なぜならば、他を平気で殺せるから。最後には自分だけ逃れる。「俺の生命は俺の生命、お前の生命はお前の生命。死ぬなら死ね。ただし向こうで死ね。直接俺に関与しないカタチで死ね。」
露鵬も白露山も、共に死地への誘導がなされていらっしゃいます。自死ではなく、拷問死である。いずれは大相撲そのものを拷問死させ得る気でして?


「相撲」は一千年以上の歴史を背景に持つ「文化」です。ソレがこの数年の不祥事故に「終わる」コトは絶対にない。三年や四年など、相撲の系譜の中にあってはほんの束の間でありまして、骨格はまだまだ安泰である。
…が、小さな傷口を放置しておくコトの危険性は、もはや言うまでもあるまい。決して楽観視しているわけではない。後ろに積み重なるモノを信じるからこそ、言うのであります。北の湖理事長は傷口を広げている。辞める意向がないのであれば、せめて病院に行ってみよう! すり傷・切り傷とは異なり、内臓の疾患は放ったらかしとくと大変でっせ。今、相撲は、いや「大相撲」は、内臓の小さな小さな疾患を抱えている。検査を受けて治療すれば、すぐに回復できるレベルだ。「大相撲」には“伝統”という偉大な体力が依然として十分に伴っている。忍耐力は存する。まだ数回の通院で済む程度でありまして、真に拷問死へと顛落しておるのは、実は他ならぬ北の湖理事長なのである。相撲はまだ死なんが、「大相撲」には少しずつ危機が迫り来る。
──北の湖理事長、アナタは多分最後まで生き残るでしょう。全体を個へと流入させているのですから。しかし、今のままでは、意外とすぐにダメになる。周りに備わるモノの全てを吸い尽くした後、アナタが遂に「大相撲」の養分を吸い始めることは眼に見えています。ソレはもうすぐです。と同時にアナタは地下に向かって「バベルの塔」を建造するコトになりましょう。陽の当たらぬトコロで何を見る? 何に触れる? 何を思う? せめて保険証くらいは出して来ましょう。サウナへ行く時間があるんですから!(追伸:今回に限り内館の婆サンと同じ考えです。)

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