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2008年06月22日 精神と宗教の哲学

『霊的終末論』ロシアの宗教哲学者、ニコライ・ベルジャーエフの『霊的終末論』
これは凄まじい本です。何でございましょう、この斬れ味。恐ろしい。私が漠然と感じておったような疑問であるとか不可解な現象及び思想または精神について、モノの見事に解説致してくれておる。喫驚、とはコレか。人間、社会、国家の基礎を「宗教的、精神的原理」において見出した偉大なる哲学者の思索集、個人的に超絶なる必読の書であると思うのです。
本書においては以下のような事柄について、ビックリ仰天の炯眼。

ロシア革命について
社会の宗教的、本体的原理について
国家論
民族論
保守主義について
貴族主義について
自由主義について
民主主義について
社会主義について
無政府主義について
戦争論
宇宙経済への転換
文化論
神の国について
ユダヤ民族の運命
共産主義の真実と嘘


蛇足かもしれぬが、以下に幾つかベルジャーエフの思想に関して、そのエッセンスを看取され得ると思われる部分を引用してみます。思いっきり。「冗長」なる言葉は忘却した。百聞は一見に如かず、であるからして…


社会と国家は宗教的、精神的原理にのみ基礎づけられ得るものである。人間の結合と支配のこれらの源泉が破壊される時、社会と国家は原子化し、崩壊する。(六四頁)


人間《我》、人間人格、人間の個体性は、人間より高級な実在、その閉鎖されている《我》より高級な実在が存在するからこそ実在するのである。もし神が存在するなら、人間も徹底して存在する。
 神がない時、人間のなかで神が滅びる時、人間も滅び、崩壊する。人間は自分より高級なもの、人間独自の実在を無限に深い、無限に内容あるものにさせているものにより、常に保持されている。(二八六頁)


社会の合理化と人間独力による社会の建設は、人間個人にとっても、すこぶる危険である。なぜなら人間個人は、そのすべての独特、独自性において、社会性の非合理的原理によって保全されているからである。非合理的に基礎づけられている国家は、まったく合理化した社会よりも、より以上人間個人を尊重し、人間個人に対して権利をあまり主張しない。(二三〇頁)


不平等はすべての宇宙秩序の基礎であり、人間人格の存在そのものがこれにより正当化される。また世界におけるあらゆる創造の源泉である。暗黒のなかにおいて光明は生誕はするが、すべてこれから不平等が発生するのである。あらゆる創造的活動は、不平等を生みだし、高揚し、質をもたぬ大衆が質をもつことである。神の誕生そのものが、不平等である。不平等から世界、宇宙も生まれたのであり、不平等から人間も生まれたのである。もし絶対的平等のままであれば、存在は開かれない状態のまま、無差別のまま、非存在のままとどまることになる。絶対的平等を求める要求は、始元的な未分化のまま混沌的暗黒状態に復帰せよという要求である。非存在的状態の平等に復帰せよという革命的要求は、犠牲と苦悩を受容したくないという欲求から生まれたものである。(七七頁)


民主主義は人間を、算術的単位、数学的にあらゆる他と同一視しており、有機的全体としての国家は原子に分解し、それから機械的集合体として集められる。しかし国民は数学的単位、原子から成立しているものではない。国民は体系的有機体であり、そのなかでは各人独自の存在であり、その質においては不反復的のものである。普通選挙法は、国民生活における質の表現には、不適当な方法である。少数は全一的精神もっている有機的全体としての国民的意志を、より良く、より完全に表現できる。一人であっても、すべての人の量よりも、意志とこの精神をよりよく表現できるものである。(二二四頁)


労働規律、労働組織、労働生産性は、精神的要素に依存している。結局において、精神は自然に打ちかち、自然の盲目力を支配する。自然力の体現、その組織と調節としての経済は、人間精神の行為である。故に経済の性質は、精神の質に依存する。経済は死的、物質的現象ではない。それには人間の精神的エネルギーが浸透しており、人間と自然の合一、相互浸透を前提としている。労働は、物質的現象ではなく、精神的現象である。それは精神的原理をもっている。(三二九頁)


すでに久しい以前から諸君にとっていっさいは夢幻に、人間の欲情と利益の無常迅速、欺瞞の戯れに化し去っている。諸君にとっては、存在そのものに、存在の欺瞞的、社会的皮膜がすりかわっている。諸君にとっては、久しい以前から、生命の本体的、存在的原理はなくなっている。…(中略)…かつての、もっと有機的、実在的であった時代の人びとは、社会結合のずっと深い形態を知っていた。…(中略)…諸君の社会とは騒々しく、仰々しいが、そこに深遠な実在論はない。そこには生命、人間、世界そして神の神秘との関係がない。諸君は表層だけを動きまわることをすこし控えて、もっと深く突込む時であり、反省して心の奥をのぞくべき時である。そこでは世界のいっさいの無限と、神の無限が現実に顕現するはずである。諸君は諸君の社会的自己感覚の自閉性を克服する必要がある。(五六頁)


すべての社会的、政治的形態はつねに形式的となる。それらは生命の精神的目的に服従しなければならない。…(中略)…完全な精神生活を現実的に実現することだけが、完全な社会を建設するという課題の解決となるのである。(二七八頁)

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