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2008年06月21日 絶好の梅雨対策

Kind Of Blue何時かの梅雨、湿度に制圧された環境を恨み、蒸し暑さに耐えつつ、ふとジャズなるモノを聴いてみたくなったのでした。昼過ぎに。ソコでインターネットという文明の利器を駆使し、「ジャズ 入門」であるとか「ジャズ 最初の一枚」とか、斯かるキーワードで検索しておったトコロ、アチラコチラでお見受け致しましたのが、この「Kind Of Blue」であった。
当然、マイルス・デイヴィスなるオジサンの存在も知っておらないで、何となく“聴き易さ”だけを求めてタワーレコードのジャズコーナーへと猪突猛進したのでございました。小雨の夕方。帰宅ラッシュを恨めしく思いながら。そうした具合であって、ジャズコーナーには客もまばら、私は迷わずコノ定番アイテムをレジへと差し出した。初めてのおつかい気取りで。


〜帰宅途中のコトは省略〜


帰宅し、とりあえず一回通して聴いてみた。
あまり明瞭に感じ取れたモノはなかった。ソレは初めてゴーヤチャンプルを食しまして、何となく嫌いではないが、好きでもあらぬってな感覚。ああ、コレが大人の味か、と思ったほどで、別段感動はなかった。ただ、マイルスが奏でますトランペットの音が、この時季のジメジメした陰湿な空気に対し不思議と合致していまして、それも夜、太陽が姿を消した時間のソレと適合して、おお! コレは絶好の梅雨対策だ!と思ったコトは今でもハッキリと記憶の中に留まっております。だから、私のマイルス第一印象は「絶好の梅雨対策」ってな現在では誠に不可解なモノです。現内閣の存在意義と同様に。


それから、しばしばこのアルバムを拝聴するのであったが、例えば夏場や初春にはどうしても適合せぬ。況んや晩秋においてをや。──個人的な固定観念の形成をソコに垣間見る。以来、私は「絶好の梅雨対策」として、いつもコノ時季になると、そっと「Kind Of Blue」を取り出してくるのでした。カツオがサザエの目を盗んで戸棚からおやつを取り出す如く。
絶好の梅雨対策、絶好の梅雨対策、絶好の梅雨対策、絶好の梅雨対策・・・ 私がマイルス・デイヴィスに真に惹かれ、この「Kind Of Blue」にあっても梅雨から切断して聴いてみようと思うには、それから二年くらい経過しまして「On The Corner」と「Jack Johnson」に触れてからなのである。所謂「電化マイルス」なる呼称で知られる時期の、あのアグレッシヴさよ!


而して今では本作について、「絶好の梅雨対策」である一方、何かしら奇妙な捉え所なき郷愁感と結びついたモノであるように思われてならない。この郷愁感は何であろうか。梅雨への倦怠感に対する反抗心の変態… ソレは何でしょう? でも、マイベスト6月アルバム「Kind Of Blue」── コレだけは確実かしらん。

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