« 「罪」と「責任」 | もどる | 決定! »

2008年06月16日 食材は食べるコト以外にも使われる

バラエティ番組において、例えば牛乳を頭からぶっかけたりするようなコトをしておるのに対して、「食べ物を粗末にするな!」って絶叫する輩の胸中が解せぬ。彼らは言います。「世の中には食糧難で云々」
パッ! 出た! 恐るべき偏屈な論理、途方もない相対主義の嵐。ソレを言い出せばあらゆるコトに決着がつかなくなるコトを想像できないバカがおる。──食糧難の問題を持ち出してくるのであれば、徹底的にやらねばならない。世界情勢でっせ。コノ追求は果てしない迷宮と混沌、政治・宗教・文化等々に内包される狭間に落ち込むコトになりまして、やってみれば分かるが、ソレは究極的にバラエティ番組と食材の関連性を遥かに超えた問答へと至ってしまうのです。而してアノ国では食べ物が無いから…などというのは、どこかに解消されてしまう。加えるに、そもそもアンタ等、普段は貧しい国に対して何かしているのかい? そういう時だけ万能薬の如く貧国を例に持ち出す偽善的な正義!? そうして、また、彼らの言い分に従えば、この点こそ最も愚劣なのですが、万が一食料さえ不足しておらねば、どれだけムダにしても宜しいという事態になるのでしょうか。まぁ、何とも都合のイイ言いがかりであるコトよ。畜生の思考。
まぁ良い。視野を別のトコロに移し替えてみよう。
例えば、チョー大ヒットした映画「タイタニック」 アレなんて相当な量の食材をムダにしてまっせ。豪勢な料理が一気にグチャグチャのポーン。コレは許せませんねぇ。…いや、食材だけではなく、膨大な量の水も弄ばれております。世の中には水が不足して(以下略)
そもそも規模は異なれどバラエティ番組も映画も同じ娯楽の一つではありませんか。映画では食材が沢山犠牲になるのがOKでバラエティはNO? んなアホな。どういう論理、もしくは道徳、倫理、モラルを掲げれば斯様なコトが主張され得よう。
いま、「道徳、倫理、モラル」と申しましたが、確かにそうしたモノを前面に押し出しての抗議ならば、ある程度の妥当性は持つかもしれませんね。しかしながら、そうであれば、尚更のコト、「タイタニック」の如きモノは攻撃せねばならぬはずです。ソレは世界中の多くのモノが鑑賞しているワケで、ソコにおいてあからさまに道徳、倫理、モラルに反する行為がなされているのですから、コレを黙過してきた世界の人々に警告を発する意味でも、必死に抗議をして下さい。


もっと言いたいコトはあるのだけれども、あまり書き過ぎるのもツマラナイから止めよう。ただ、コレだけは再度申し上げておきたい。バラエティ番組も映画も、その他諸々の食べる以外の用途に食材を用いる娯楽的所作に差異はありません。抗議を出すのなら全てに及ぶべきだ。それともソコには何等かの違いがあり、コレは容認可能でアレは容認不可能とでも言うのなら話は別ですが… 果たして公正に、「道徳、倫理、モラル」を裏切らずに、ソレらの区別を正当化できる論理を打ち立てるコトなどできようか。
できないのであれば、もはやこういうコトです。至極簡単。
「食材は食べるコト以外にも使われる」 
使われる以上ムダではない。それとも今度は用いられる量によって区分でもする気ですかい。誰がその境界を設定できましょう? どうしてもムダだと仰るのならば、食べる以外の所作に使用された場合、全てに渡って抗議を出さなければ自らの信念を裏切ったコトになるんです。原理主義者よ、逞しくあれ!

« 「罪」と「責任」 | もどる | 決定! »