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2008年02月08日 感情の付随物

ホントに世知辛い世の中でござんしょ。
泣けば良いってモンでもあるまいに。沢尻にしろ倖田にしろ。涙は所詮<感情の付随物>に過ぎぬ。もしくは<感情の過剰演出効果>の機能を有する魔性の液体でありましょうか。
ココで、数年前のコトを持ち出してきて誠に恐縮ではありますが、何気なくテレビを見ておった折、ダウンタウンの松ちゃんが「女は泣けば許してもらえると思ってる」的なコトを申しておったのを思い出す。ソレは正しい。全面的かつ絶対的な正論ではありませんか。
そして、しかしながら、如何なる事態か、“世間”様は恐ろしく優柔不断の体であって、女の涙、殊に若き女の涙を前に致しますれば、まるでヘビに睨まれたカエル、トラと10メートルの距離で対峙してしまったシマウマ、定食屋で同僚と上司を罵っておったら、なんとその上司も同じ店におり、モノ凄い形相でコチラを見ていたコトに気付き、もはや万事休すの若手社員、放課後に教室内でスリルを楽しみながらオナニーをしていたら、その一部始終を映像に撮られていた哀れな男子生徒のその後、といった如く、一様に無力になってしまうのでした。コレではいけない。彼らは涙に涙以上の価値を―おそらく無意識の裡に―付与してしまっておるが故に、斯様な詐術に欺かれ続けるのであった。
涙に意味は無い。再度申す必要があるかもしれぬ。涙は所詮<感情の付随物>に過ぎないのです。而してヒトは意図してソレを付属させ得るコトも可能なのであります。


男が泣きながら釈明するのも、女が泣きながら釈明するのも、行為自体においては全き同一のモノであるはずなのに、何故にか、人々はソコに差異を生ぜしめる。笑止千万! 愚鈍にもホドがあるってモンですぜ。
例えば。仮にこういう想像を巡らしてみようではないですか。或る中年男性芸能人が問題発言をし、謝罪会見を開いた。彼は発言する。「わ、私の ふ、ふて、不適切な、は、は、はぁ発言問題につき、つきましてぇ、こ、此の度は、と、と当事者の、み、皆様方に た、た多大な、ご、ご、ご迷惑をお掛け致しましたことを、ふ、深く、お お詫び、・・申し上げます」斯かる具合に泣きながら会見をしてみなさい。コレを見ましたモノで、寛大なお心を有しまして、「よしよし。誰にでも過ちはあるもんです。そんなに泣く必要なんてありませんよ!」などと心中で思う輩が、果たして幾人ほどいるコトでございましょうか。この会見をご覧になりたるモノは、皆一様に、あらゆる逡巡を拒み、こう思うであろう。「バッカじゃないの? イイ歳したオッサンが何泣いてんの?」


問題発言に際して泣きながら謝罪したという一点におきましては、彼も、上述のお下品な女性芸能人共も、同様であるコトは疑い得ない。ココには何らの相違も存せぬ。(極言してみようか━━アレもコレも「バッカじゃないの?」で片付けるコトは可能だ。)テレビでしばしば見られる「涙の謝罪会見」なる大仰なモノには一文の価値もあらぬし、あってはならぬし、与えてもならぬ。ソコに涙があるか否かなどを気に致しますコトは、これ以上に無いってホドに徒労であります。仮に私共がそうした類の会見中に何かを求める必要があるとしますれば―そんな必要は十中八九無いのでしたが―、ソレはくだんの如く涙ではあらずして、<誠心誠意の心情>の有無ではないか。涙がソコに付属してくるか否かなどは二の次の問題に過ぎぬのであって、間違っても涙をバロメーターにしてはいけない。涙を流さないから反省しておらぬ、などとほざき立てる馬鹿野郎は、心の眼が潰れておって、表面的なコトでしか当人の心情を察せられないコトを暴露しちゃう劣等生物、コレに他ならぬのでありました。


次回予告:【iPodが壊れちゃった(実話)】の巻

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