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2007年07月21日 「共通語」と「方言」

「共通語」というモノは人工的に作られたものである、という説はそれなりに有力なようである。
日本でいう「共通語」は東京地方の言葉だが、東京に中心を置き、そこから国家を統制していこうとするためには、まずは言葉を一定のモノにしなければいけない。同じ日本語でも地域によって言葉がバラバラだと、国家が大切なことを伝達できなくなるかもしれぬ。そういう危惧から、東京の言葉=「共通語」として全国に普及するようになった、という。
あながち間違いではなかろう。


ところで東京近辺にいる者は「方言」を話さない、という認識は間違いじゃないかしらん。前述の「共通語」化された東京地方の言葉、しかしながら「共通語」化される前は主に東京地方だけで流通していたモノなんだから、それは「方言」だろう。今日的な意味での「方言」は、東京を中心に見て、それ意外の地域の言葉を指しているようだが、字面の上では「(地)方(の)言(葉)」、「(地)方(の)言(語)」という風にも見えるワケだから、東京地方独特の言葉を「方言」であると捉えることも可能だろう。


例えば、関西弁でいう「何やねん」の「やねん」の部分が東京地方だと「何だよ」の「だよ」に相当し、四国地方で使われる「何しよん?」という「しよん?」が東京地方だと「何してるの?」の「してるの」に当たり、それは関西弁だと「何してんねん」の「してんねん」に当たる。「だよ」も「してる」も東京地方の「方言」ではないか。それが「共通語」になり、全国に普及している今日では、「だよ」も「してる」も普通の日本語のように思われているが、元々は「方言」であったのではないかしらん。いや、その辺の変遷具合については、専門家ではないから知らんけれども。


とりあえず字面の上でいう「方言」というものは、全国各地にあるものであり、東京地方だけはそんなモノが無い、というのはおかしいじゃないかと思った、というだけの話。
今回書いたコトも、大したコト「ないんだよ」(←コノ部分も「方言」?)

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