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2007年05月05日 己への“挑戦”

特攻の島1巻二日続けて漫画のコトを書くべきかどうか迷ったけど、とりあえず書くことにした。なぜなら、そこに書くスペースがあるから。そして今日書こうとすることは、昨日のことと少なからず繋がる面があるから。敢えて書く。


佐藤秀峰「特攻の島」
発売されてからもう一年が経っている。今更言うまでもないが、「ブラックジャックによろしく」とか「海猿」を描いたヒトの作品である。でも、私はこのヒトの漫画をほとんど読んでいない。彼が扱うテーマは実に興味深いものの、なぜかイマイチ惹かれなかったからだ。とは言っても、次は「特攻隊」をテーマにしてきた。これは見過ごそうにも、そうそう素通り出来るものではない。しかも「回天」だ。


来週から「俺は、君のためにこそ死ににいく」という特攻隊の映画が公開される予定だが、それはお馴染みの航空特攻。零戦や一式陸攻に250キロ爆弾等を装着して、敵艦艇へと体当たり攻撃を仕掛ける、今日でもよく知られているものである。
飛行機による特攻というのはよく知られているものの、それ以外の方法による特攻は、一般的にはあまり認知されていないようである。例えば“人間爆弾”と称された「桜花」、これはミサイルのような形をした爆弾にジェットエンジンが付いていて、中に人間が乗り込み敵艦艇への突撃を計ろうとしたものだ。また「震洋」という特攻兵器は、モーターボードに炸薬を積み込んだものを人間が操縦して相手に突撃しようとするものであった。そしてこの作品で扱われている「回天」とは、“人間魚雷”と称され、全長約15m程の魚雷に人間が乗り込んで敵艦艇へと体当たり攻撃をするために開発されたものである。この「回天」という特攻兵器は、広く知れ渡っているとは思われないが、それでもここ数年の間に映画化されたりドラマ化されたりしているから、それなりに認知度は上がって来ているのかもしれない。
特攻。生還の余地が残されていない戦法。なぜ斯様なものが生み出されたのかという問いは、今なお続けられている。他に有効な手が無かった、と言ってしまえば、もはやそれまでかもしれない。しかし、そこまでする必要があったのか、ということや、こうした戦法を作り出した日本人の内面(精神や思想、死生観など)への問題等、未だに判然としない事柄が多いのも事実である。


この「特攻の島」では、黒木博司大尉、仁科関夫中尉という実際に「回天」開発に尽力した人物が描かれ、限りなくノンフィクションに近い形で物語が展開されている。
そして問われる「命」の問題。
おそらく、特攻隊員のほとんど全ての者が避けられぬであっただろう問い、自問自答、すなわち俺の「命」とは、俺の「人生」とは、俺が「死」ぬことの意味とは一体何であるのか。それと同時に繰り返される、俺は何を守り、何を志し、何をすべきなのかという煩悶。
そこには生還の余地が許されていない環境下においてのみ、真剣に向き合わねばならぬ己自身への回帰があったはずである。
予科練の身ながら仁科中尉と「回天」に乗り込むことになるこの物語の主人公、渡辺裕三が言う「俺自身の人生を・・・ 俺のものにするためです・・・・・・!!」という一言は、おそらく多くの特攻隊員たちが共通して抱こうとした思いに他ならない。絶対に生還出来ない特攻という戦法の下で、それならばそこに己の生命の全てを意義付けてやろうという気概。必然的な「死」を前にして、己が持つ「生」というものの内実を明瞭にするには、そうした意志の所有が不可避であることに彼らは思い至ったのだ。


特攻隊員を見つめるということは、くだんの如く、そこに自己の全てを賭けて完全燃焼しようとした人々の姿を捉えることである。死を前提に物事を捉えねばならなかったが故に、なさねばならなかった素の己への“挑戦”が、そこにはある。それは時として極めて個人的な問題へと逢着することもあれば、国家や「悠久の大義」という概念に向かうこともあろう。だが、何人たりとも避けては通れぬのが家族、友人、恋人への視点である。
自らの「生」の基礎を何処に置くべきか、世界、国家、社会、故郷、家族…その選択により“結果”も当然異なってくる。
佐藤氏は今後、この“挑戦”を、いかなる形をもって描こうとするのか。弥が上にも注目しないわけにはいかない。

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