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2006年12月09日 マクロ⇔ミクロ

今、俄に栗林忠道ブームが起きている。
クリント・イーストウッドが硫黄島の戦いの映画を撮ったことを考えると、これはある意味必然なのかもしれない。


陸軍中将栗林忠道。


彼は硫黄島の戦いにおいて徹底した守備隊の司令官として抗戦したことが相当高く評価されている。現に硫黄島の戦いは最も戦果を挙げたと言って良い。
だが、そこでの戦いは水がない上に食料も不足し、更には下痢、日射病などにも襲われ、兵士たちの置かれた環境面は最悪だったといわれているが。
彼はまたアメリカ滞在経験もあり、アメリカ及び米軍に関する知識は相当なものであったという。
物資的に明らかに劣る日本が、アメリカを敵にするということ。彼もまた山本五十六らと並んで、その無謀さを痛感していたようである。
そして子供に宛てた手紙などが、彼の人柄をいっそう高めているのかもしれない。


確かに栗林忠道という人物の生涯は悲劇的な面が強い。
それは戦艦大和が沖縄に特攻をかけた時、司令長官を努めていた海軍中将伊藤整一(死後海軍大将に昇進)と米軍の第五艦隊司令長官スプルーアンスの残酷な宿命に似ているかもしれない。
少なくともインドでのいい加減な作戦指導の末、多くの兵士を犠牲にした牟田口廉也中将よりは共感を呼び易いであろう。


軍人だからこそ、国家を守るという大義があるからこそ、そしてもっと身近な存在のために、犠牲にしなければならないものもある。
彼らの想いはやはり後世に遺していかなければならない。


そして出来ることなら、司令官だけではなく末端の無名の兵士たちにも想いを馳せたいものである。
一部の無能な参謀や軍部首脳陣によって人生を決定付けられた人々を思うことなく、平和も糞もあったものではない。
今、注目されている栗林忠道という人物を通じて、その後ろにいた多くの者の姿を今一度思い起こしたい。私は、彼らの「生」と「死」の意味を確認する作業を通して、将来の教訓へと繋げたいと思うのである。

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