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2008年02月05日 生涯の伴侶にでも

『アメリカの民主政治』トクヴィルの『アメリカの民主政治』ほど、想像、記憶、確認、思索の飛躍等の感覚を展開させてくれる書物は希有。20代後半から30代半ばで斯様な大著を著したとは、恐るべき炯眼でございます。視力検査で喩えてしまうなら、彼の眼は45.0くらいではなかろうか。
ところで、この時のトクヴィルからは能動的な意思を少なからず感ずるのでした。彼は「平等」がもたらすその害悪を、“民主主義”下の民衆が各個支離滅裂に解体されるも、やがて各自の無力ゆえに或る強大な権力の内へとそぞろに集ってくるであろうって展開の果てに、終局、「独裁」が立ちはだかるという点に結びつけ指摘したのであったが、其処に絶望感は込められてない。そうして、以上の事柄は今日においても看過し得ない問題であることは申すまでもありません。
この崇高なる超人的予言者が世に警告を放ちて、既に170年ほどが経過したのであったが、今、ココに繰り広げられる情勢は、何を告げ、何を明らかにしておるのか。トクヴィルの炯眼がもたらした課題は、益々逼迫した様相を呈して、アチラコチラに散見されてはいないか。


『アメリカの民主政治』という一つの書物は、21世紀を迎えた今においてこそ、研究者の中でライフワークとして追求されるべき価値を十二分に包含していますように思われましてなりません。果たして如何程の重要事項が本書の中に提示されてあるか。莫大すぎて途方に暮れましょう。私だって知力と気力と財力と時間さえ存しておれば、この書物を20年30年かけて研究したいもんである。フーリエやサン・シモンの研究なぞは衰退しても一向に構わんけれども、トクヴィル研究は一層向上されんコトを願わずにおれない。


というワケで、我が雑念放出完了。
講談社学術文庫版の翻訳は決して芳しくございませぬが、今のところ日本語に完訳されておるのはコレしかあらぬので、私のように外国語に弱い日本人は誠に不遇でありますが、コレを選び取るしかないのであった。数年前に岩波からも出版されてあるが、コッチは依然として半身浴の状態。早く全身浸かれますことをお祈り致しておるのです。
そんなこんなで『アメリカの民主政治』は必読だっちゃ。

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