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2007年3月30日 (金)

日本軍「強制」は修正=沖縄戦の集団自決−高校教科書の検定結果・文科省

これは難しい問題だと思う。
まず当時の客観的情報を記録したものが極めて少ない。集団自決の「強制」があったか否かを判断する材料として、伝聞や沖縄戦を経験したという住民の話が主となっている。しかし、それらのものにどれほどの信憑性があるかとなれば、これまた曖昧であり千差万別といったところであろう。このことは特攻隊が「志願制」であったのか、拒否できない雰囲気の中での「半ば強制的な志願制」であったのかという問題にも通ずるところがある。
また、多数の住民が集団自決できるほどの弾薬や手榴弾が旧日本軍にあったのかという問題も沸き起こってくる。米軍の圧倒的な攻撃下にあって、それでも陣地を死守せねばならない状況の中で、敵を前にしながらも貴重な武器の多くを敢えて地元住民に対して使う(分け与える)方針を定めた軍隊、それはいささか不可解な光景ではなかろうか。

このような記事も発見。
「歴史曲げずに伝えて」=沖縄の集団自決生き残り男性−教科書検定

「座間味島で沖縄戦を体験したのは10歳の時。日本軍から手りゅう弾を渡され『米軍に捕まったら体のあちこちを切り刻んでじわじわ殺される』と聞かされた。『自決しろとはっきり言われたか記憶にないが、暗に自決しろと言っているのと同じだ』と振り返った。別の家族が手りゅう弾で自決するのも見たという。(中略)一方、命令を出したとされる元陸軍少佐梅沢裕さん(90)は同日、大阪市内で取材に応じ『(修正は)とてもうれしい。強制などとんでもない』と興奮気味に話した。」

「強制」かそうではないかの認識はそれぞれによって異なり、それを統一することはほぼ不可能だろう。ただ、今回の件に関して私としては、集団自決した住民の“全て”が軍による強制であったとは考えられない、という立場にあるから、この修正は妥当なものであるとも思う。しかし「集団自決に追い込まれた人々もいた」という表現はやや曖昧で、沖縄戦の実態が摑めないものであることも確か。

この辺の検証は困難を極める。一概に集団自決といっても、全員が同じような状況で死んでいったとは考えられないし、軍が地元住民に集団自決を「強制」させる統一方針を持っていた正確な証拠となるものもおそらく存在しないだろうし、「強制」の客観性を判断するのも難儀だ。多分これからもはっきりとした結論が出されないまま、幾つかの見解が対立し合うんだろう。

この件で、次代の者が最低限受け継がねばならないのは、沖縄戦の惨状とその中に身を置いた人々の存在。
中には明らかに強制されたという人もいれば、強制されないけれど死ぬしか無い状況に立たされた人もいたことだろう。だが、いかなる形であれ、そこには無数の死があったということだけは知るべきだ。
死の数だけ“死の形”がある。
それは容易に統一できるものはないが、それを曖昧な形でボカすようなことだけは極力避けるべきであろう。